エレクトーンのマメ知識
オーケストラと共演するエレクトーン

エレクトーンの開発を強力に推し進めたヤマハ(当時は日本楽器製造)の川上源一社長には、その頃、非常に権威主義的であった日本のクラシック音楽界に対して、一石を投じたいという考え方があったと伝えられています。
発売当初からポピュラー音楽の世界で人気を集めていたエレクトーンでしたが、1974年、それまでのイメージを打ち破る画期的なエレクトーンGX-1が完成すると、川上は予想外なアピール戦略を打ち出します。当時の日本を代表する作曲家、芥川也寸志に、エレクトーン協奏曲の作曲を委嘱したのです。こうしてできあがったのがGXコンチェルト(エレクトーンGX-1とオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート)。同年7月、日本のクラシックの殿堂ともいうべき東京文化会館で、沖浩一独奏、作曲者自身の指揮する東京交響楽団によって初演され、大きな話題となります。以降、エレクトーンがオーケストラと共演するということが、盛んにおこなわれるようになったのでした。
(参考資料:「エレクトーンおもしろ雑学事典」ヤマハミュージックメディア)