「だれでも第九」誕生の物語
-みんなでフロイデ!-

[ 画像 ] 「だれでも第九」誕生の物語 -みんなでフロイデ!-

4楽章
ピアノは歌う歓喜の調べを。魂が響き合う「優しい第九」

いよいよ本番
準備は万端?

2023年12月21日。「だれでも第九」が開催された。

会場は東京・赤坂にあるサントリーホールのブルーローズ。クラシック音楽を愛好する人なら、だれでも1度は耳にしたことがあるだろう名門コンサートホールである。

東野寛子さん(1・2楽章)、古川結莉奈さん(3楽章)、宇佐美希和さん(4楽章)。これまで紹介してきたように、3人のピアニストが半年から9か月のあいだ懸命に努力してきたのは、この殿堂での演奏会を成功させるため。

練習ではハードな瞬間もあっただろう。だが、彼女らはそんな素振りを見せることもなく、いくつものハードルを乗り越えてきた。

音楽プロデュースと編曲を手がける高橋幸代さんはじめ、3人をサポートするチームも全力で取り組んできた。自動伴奏追従機能が付いた「だれでもピアノ」の調整もほぼ完了している。

あとは本番に臨むのみ。横浜シンフォニエッタや東京混声合唱団と、どんな「第九」がつくりあげられるのか。ワクワクすると当時に、見守ってきた側としてはハラハラする気持ちもないわけではない。

3人の"だれでもピアニスト"とオーケストラ、合唱団。総勢約50名のメンバーによるアンサンブルは、前代未聞の試み。しかも全員が一堂に会して音を合わせるのは、前日のリハーサルが初めて。

やれることはやった。とはいえ、やってみないとわからないことも多い。指揮者を務める米田覚士さんも、11月末に行われた最初のリハーサルの際こう語っていた。

「楽しみな部分とまだ不安な部分がありますけど、成功させられるように僕もできることはやっていきたいと思っています。ありのままを見てください。もうそれだけです」

関わる人全員が、そんな気持ちだったかもしれない。

[ 画像 ] リハーサルの様子

すべての音がひとつに
会場は歓びに包まれた

米田さんの言葉の通り、期待と不安が交錯するなか演奏会は幕を開けた。ホールに詰めかけたオーディエンスが固唾を飲んで見守る。

その張りつめた空間に、オーケストラのチューニングの音が響き始める。指揮台に上がった米田さんが、最初のピアノ奏者となる東野さんを迎え入れると拍手が起き、かつてない「第九」演奏会が始まった。

まずは第1楽章と2楽章。ゲネプロ(通しリハーサル)が終わってからも、東野さんは本番ギリギリまで練習を続けていた。ステージではテンポが速く複雑なパッセージも弾きこなし、オーケストラとのスリリングな掛け合いを堪能させてくれた。

ピアニストの表情や鍵盤上の風景、オーケストラの演奏者の姿は、複数のカメラを切り替えつつ、背後の大型スクリーンに映し出される。東野さんの指の動きにシンクロする自動伴奏を見ていると、まるでそこにもう一人、透明人間が演奏しているかのような錯覚に囚われる。

[ 画像 ] 演奏中の画①

そして3楽章。ベッドに横たわったまま演奏する結莉奈さんの1音1音は、いつも以上に澄み渡っていて宇宙にまで届きそうなほどだ。「だれでもピアノ」による自動伴奏が、その渾身のメロディをキラキラと彩る。

米田さんとオーケストラは、ピアノの音色をかき消さないように静かで美しいハーモニーで引き立てる。多くの人が涙を流しながら聴き入っていた。オーケストラの奏者にも泣いている人がいる。

[ 画像 ] 演奏中の画②

いよいよ第4楽章に入る。リハーサルでは満面の笑顔を見せながら弾いていた宇佐美希和さんの表情から、スマイルが消えていた。

「♪ファ・ファ・ソ・ラ ラ・ソ・ファ・ミ レ・レ・ミ・ファ・ファ~ミミ~」

「歓喜の歌」のフレーズを人差し指一本で大切に、慈しむように弾いていく。そこに合唱が加わる。オーケストラも歌うかのように全体のエモーションを高めていく。

ふとスクリーンへと目をやると、希和さんの横顔がアップになった。ドイツ語で口ずさんでいる。「歓喜の歌」を。夢見心地のような表情で。

笑ってはいない。激しい動きを見せるわけでもない。だが、全身全霊で第4楽章を表現していることがわかった。

やがてピアノ、合唱、オーケストラ。すべての音がひとつになり、会場は湧き上がるような歓びのハーモニーに包まれた。

最後の1音。そして演奏がフィニッシュしたとき、演奏者たちと聴衆のあいだに、言葉にできない何かが残った。「感動」のひと言では言い尽くせない不思議な感情だ。オンラインのライブ配信を視聴していた人たちにも、それが伝わっていたかもしれない。

[ 画像 ] 演奏中の画③

あっという間の1時間だった。

第九と言えば「壮大な」とか「力強い」といった形容詞で語られやすい。しかし、この第九の印象は「優しい第九」。演奏終了後に高橋さんは、「魂が響き合う」ようなコンサートだったと振り返った。

「やり遂げました!」

「楽しめました!」

「ホッとしました!」

3人のピアニストたちは、なんとも言えない達成感と高揚感、そして安堵感を感じているようだ。みんな幸せそうだった。

[ 画像 ] 終わった直後の3人並んでのあいさつ

障がいのあるなしじゃない
演奏者同士が刺激し合えた

終演後、楽屋で指揮者の米田さんにコメントをもらった。

「オーケストラも合唱団も僕も、ピアニストの気持ちに乗ることができました。熱を感じられる時間だったと思います。障がいがあるとかないといった垣根を超えて、演奏者同士が刺激を与え合い、それぞれが最大限のものを出し合える演奏会になりましたね。

演奏者はもちろん、ご協力くださった方々も含めて、一人一人の持っている力が合わさって、ひとつのものをつくりあげれば、多くの人たちの心を揺さぶる音楽が生まれるということを、改めて実感する機会になりました」

3人のピアニストには、それぞれの身体的なハンディがある。年齢も社会経験も異なる。しかし、ピアノ演奏を諦めることなく、オーケストラと一緒に演奏したいという憧れを持ち、それを実現するためポジティブに挑戦し続けた。

その結果「その人にしかできない表現」を観客に届けた。プロフェッショナルたちもその想いに応えて、ひとつのシンフォニーをつくり上げた。3人に寄り添う気持ちは強かっただろうが、手加減や妥協のない真剣勝負でもあった。

彼女らの表現を支えた“影の主役”が「だれでもピアノ」だ。AIその他の技術がサポートするシンクロニシティそのものは、見えなければ聴こえもしない。だが、それがなければ「だれでも第九」は誕生していない。

人と先端テクノロジーの協働が、音楽の体験をより豊かに拡張する。そのことを実証したコンサートとしても「だれでも第九」は記憶に残るものになるだろう。

コンサート終了後には、オンライン上に多くの感想が寄せられていた。

音楽とは? インクルージョンとは? 人とAIの幸福な関係とは? 色んなことを考えるきっかけになった人がいるようだ。「改めて音楽が好きになりました」という感想も見受けられる。YouTubeのアーカイブ動画ページでは、英語圏の視聴者からのコメントも見ることができる。

「ブラボー! ベートーヴェンが天国でニコニコしながら見てますよ(Bravo!..Beethoven is smiling down from up above)」

そうだとしたら素晴らしい。ベートーヴェンは人と人の垣根がなくなることを願ってこの交響曲を作曲したという。

演奏会は終わっても「だれでも第九」は終わらない。さらに広がっていくだろう。未視聴の方は当日のアーカイブをご覧いただければ幸いだ。音楽の本来と未来の歓びがここにある。

[ 画像 ] だれでもピアノ

記事:河尻亨一(編集者・作家)