CN PROJECT

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成長と飛躍のポテンシャルを
秘めるインドに、
新たな生産拠点をつくる――
それは、新たなつながりと
社会価値をもたらすチャレンジだった。

チェンナイ工場 起ち上げプロジェクト

2019年6月、ヤマハはチェンナイにインド初となる生産工場を設立し、本格的にインドでの事業活動をスタートした。14年ぶりとなる新たな生産拠点起ち上げ。そして、未知の文化との邂逅。数々の困難を乗り越えたプロジェクトメンバーたちに、当時を振り返ってもらった。

Project Member

袴田 雅彦
(プロジェクトリーダー)

楽器・音響生産本部 企画管理部 管理グループ
1988年入社/理工学研究科卒

園田 治夫
(プロジェクト推進・事務局担当)

生産企画統括部 生産推進部 製品技術グループ
1992年入社/機械制御工学部卒

山本 壮俊
(アコースティックギター製造ライン担当)

ヤマハミュージックインディア
2003年入社/工学研究科卒

成長著しいインドに、新たな生産拠点を。

10年後を見据えた、一大プロジェクト。

2016年、ヤマハに新たな生産拠点を起ち上げるプロジェクトが発足した。10年後の楽器・音響製品売上を想定した時に、生産キャパシティが不足する見込みとなったことがきっかけだった。選ばれたのは、人口ボーナス期でもあり、成長市場の著しいインド。ヤマハの市場拡大も視野に入れたプロジェクトであった。人事・総務、経理、業務システム、調達、物流、生産技術、品質保証、施設不動産管理グループなど、社内のスペシャリスト35名を集めた一大プロジェクトだった。メンバーたちは当時の心境をこう振り返る。
「ヤマハが新たな生産拠点を起ち上げるのは14年ぶりのこと。ノウハウもなければ、インドへのなじみもないわけです。ただ、不安よりも面白みの方が大きかったですね。土地の契約が終わり、何もない建設予定地を目の当たりにしたときの高揚感はいまだに忘れられません」(袴田)
「正直、インドといえばガンジス川とカレーのイメージしかありませんでした(笑)。プロジェクトが発足したころは、すべてが未知数。心配がなかったというと嘘になってしまいますが、ヤマハの未来を左右するプロジェクトに抜擢されたことに意気を感じていましたね」(園田)
「当時、私はインドネシアの工場でアコースティックギターの製造ラインを任されていました。本プロジェクトにおけるミッションは。そのラインをコピーすること。設備数も多く、工程も長くて複雑。『これは、大変だぞ』と気が引き締まる想いでした」(山本)

国が変われば、ルールも変わる。

プロジェクトにおける最大の困難は、インドならではのルールに合わせることだった。インドは、行政の影響力が強いことで知られる国。手続きや申請ひとつとっても、そこには大きな苦労が伴ったそうだ。
「たとえば、配管工事ひとつ取っても、『国が認定した製品しか使えない』などさまざまな縛りが存在します。どうやって許可を得るのか。どのように作業を進めていくのか。すべてのプロセスが手探りの状態で進んでいったのです。このプロジェクトには、あらゆる分野のプロフェッショナルが参画していましたが、慣れないオペレーションに苦戦の連続でしたね」(園田)
一つひとつの工程が思うように進まない。そんな状況を打開し、工期通りの竣工を成し遂げたのは、ヤマハ本社のメンバーたちと現場のメンバーたちが密に連携し、課題を乗り越えていった結果だ。
「インドは環境への意識が強く、製造に使用する水の申請などにはとくに細心の注意を払いました。当時は、本当にトライ&エラーの連続でしてね。監査官によって言うことが違ったり……。もう、どうすればいいんだって状況でしたから(笑)」(袴田)

「品質が低い」なんて、言わせない。

チェンナイ工場が製造するのは、ポータブルキーボードをはじめとした電子楽器とスピーカーとアコースティックギター。アコースティックギターの製造ラインの起ち上げにあたっては、とくに大きな苦労があったようだ。多くの設備を必要とし、工程も長く、複雑であること。さらには、製造にあたって特殊な技術が求められるため、技術者の教育・育成というミッションも必要だったことが要因だった。
「多様な設備をどこでつくり、どうやって運ぶのか。そのすべてを任されました。インド国外でつくった製造設備が税関で止められるといったこともしばしば。ラインに必要なものをそろえるだけでもひと苦労でしたね。もう一つの課題は、ものづくりを担う人をどうするか。インドネシアやマレーシアから技術者を招聘し、ゼロからものづくりを担う技術者を教育・育成しました。言葉も文化も違う中ではありましたが、『インドネシアより品質が低い』などとは絶対に言わせたくなかったですからね。しっかりといい製品をつくり続けられる基盤を構築できたと自負しています」(山本)

ここから、新たな感動が生まれていく。

2019年6月、チェンナイ工場は予定通りに操業開始を迎えた。およそ3年間という長い時間を経たからこそ、さまざまな困難に見舞われたからこそ、メンバーたちの達成感はこの上ないものとなった。
「今も、私はチェンナイで仕事をしています。1台目の製品完成の瞬間はもちろんですが、ここからヤマハの製品が生み出され続けていること。ここにいるメンバーたちが確かな品質を実現してくれていること。それが何よりの喜びになっています。今後、新たな拠点をつくる機会があれば、絶対に手を挙げますよ。未知の世界で、ヤマハのものづくりを起ち上げる。そこにチャレンジする喜びを知ってしまいましたから」(山本)
「開業式に立ち会うことはできませんでしたが、完成した工場を撮影したドローン映像を見た時には、本当に感動しました。今後、こうした機会があれば、私自身もそこに携わりたいと思っていますし、若い人材にも積極的に参画してほしいと思っています。ヤマハの未来を担うようなビッグプロジェクトにこそ、若手メンバーの斬新なアイデアが必要になると思っています」(園田)
「このプロジェクトが成功したのは、多くの人たちの支えがあったからだと思っています。インド行政や周辺の皆さんも『ヤマハが来てくれた』と歓迎してくれましたし、工場で働く現地のメンバーたちもヤマハで働くことを誇りに思ってくれています。今回のプロジェクトで私たちにも確かなノウハウが確立されました。この経験が次のチャレンジの支えとなり、新たな『絆』と『感動』をつくる原動力になってくれると信じています」(袴田)