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音楽ライター記事

ライター:富澤│配信日:2017年2月16日│配信テーマ:ジャズ  

前説編|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?


各論に入る前に、ジャズを知る過程において用いられてきた“踏み絵”について、もう少し解説を加えておこう。

まず、大きな背景として、20世紀初頭に大衆音楽として急激に発展したジャズが、享楽主義すなわち破戒行為を象徴するものとしても認識されていたことがある。

実際に、20世紀半ばあたりまで、ジャズは“悪魔の音楽”と揶揄されていた(20世紀後半はその座をロックに譲り渡したが)。その理由は、“アンチ禁欲”であることを隠そうとしなかったからだった。

つまり、ジャズを支持するということは、宗教的な禁忌への反抗という生き方やモラルにも関係する重大事を意味していたわけだ。

とはいえ、絵(聖画像)を踏むという行為自体は日本固有のものであって、ジャズを“悪魔の音楽”と揶揄したアメリカではその行為も言葉も広まることはなかった。もっとも、映画「沈黙-サイレンス-」によって“Fumi-E”なる言葉が流布し、ジャズの革新性を語るキーワードとして欠かせないものになるやもしれないが……。

話を戻そう。

“踏み絵”を宗教的禁忌への反抗というイメージに重ねた場合、ジャズの文脈では宗教的禁忌を“既存の音楽理論あるいは音楽的常識”と置き換えるべきだろう。ただし、西洋音楽と宗教との結びつきの強さは論じるまでもなく、ゴスペルなど教会音楽の影響を受けているジャズもその例外ではないので、本来の宗教的禁忌が底辺にあることは無視できない。

逆に、だからこそ“踏み絵”という強いイメージが似合うことにもなるのだろう。

ジャズがひとつのジャンルとしてまとまり始めた19世紀の後半、音楽全般の潮流では後期ロマン派と呼ばれる“主観と個性による指向の細分化”が進む一方で、その反発である“音楽秩序からの開放”への欲求が高まっていた。

主観は残しつつ既存の論理や感情を排した印象主義から、音楽の根源的パワーを見直そうとした原始主義が生まれたり、それまで用いられることがなかった(すなわち禁忌されていた)音響を意図的に使った表現主義へと展開したり、“現代音楽”と呼ばれる20世紀の芸術性を模索するための扉が開かれることになった。

ジャズは、大衆音楽としての実用性を損なわないために、表向きにはこうした芸術性の模索への追随に消極的にならざるをえなかったはずだが、実際にはそれとは反対の動きが勢いを増すことになる。メディアの発達とともに、さらなる差別化(細分化)の必要性と、芸術性を模索する現代音楽への大衆の興味が膨らんでいったため、ジャズも旧態依然としてはいられず、時代に応じた“目新しさ”が求められるようになったからだ。

好景気によって経済的に躍進を遂げた20世紀初頭のアメリカでは、移民である自分たちが故国ヨーロッパから文化をダイレクトに輸入することを旧態と感じ、独自に創出しようとする気運が高まったことは想像に難くない。

例えば、ジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」が注目されたのも、そうしたムーヴメントから発したエピソードのひとつだととらえれば理解しやすい。なればこそ、あの曲には交響楽を“踏み絵”にしてジャズを管弦楽へ導こうという意図は薄く、ジャズの転換点として語られることが少ないことも説明しやすくなるかもしれない。

ジャズへの影響という意味では、ジョージ・ガーシュウィンよりもデューク・エリントンを取り上げなければならないだろう。彼は積極的に、組曲形式などクラシック音楽的なアプローチを採った作品を残しているからだ。

しかしその興味は、旧態のジャズを“踏み絵”とするのではなく、すでに定着している“ジャズらしさ”を増幅したものと言える。ニューヨークのハーレムにあった“コットンクラブ”の専属バンドとして活動を続け、代表曲「A列車で行こう」の大ヒット(1941年)で全米にその名を轟かせるなど、大衆化という意味では象徴的な存在でもあったことが、デューク・エリントンの主な功績だったりするのだから……。

そうであれば、ジョージ・ガーシュウィン的なアプローチもデューク・エリントン的なアプローチも、ジャズの“踏み絵”とは呼べない。

ジャズにおいて旧態との対立軸の明確化に関しては、1940年代初頭に起きた別のエポックを参照する必要がある。後にビバップと呼ばれるスタイルのジャズの登場がそれにあたる。

つまり、ビバップの中心的存在であるチャーリー・パーカーこそが旧態のジャズを踏み越え、自らが“踏み絵”と化してその音楽に接するものに「破戒の音楽を聴く覚悟があるか」と質していたのではないか――ということで、いよいよ“チャーリー・パーカー踏み絵論”に入っていくことにしよう。
<続>

2017年2月16日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:富澤えいち

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