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音楽ライター記事

ライター:山崎│配信日:2013年6月27日│配信テーマ:洋楽  

リック・デリンジャー・インタビュー/ギターを抱えてショービジネスを渡り歩いてきた永遠の”オール・アメリカン・ボーイ”


 2013年6月、エドガー・ウィンター・バンドが来日公演を行った。名盤『ゼイ・オンリー・カム・アウト・アット・ナイト』発表から40周年という節目となるステージでは「フランケンシュタイン」「フリー・ライド」などのヒット曲が演奏されたが、ひときわ大きな歓声が上がったのは中盤、スペシャル・ゲストのリック・デリンジャーがステージに登場したときだった。

 永遠の”オール・アメリカン・ボーイ”であるリックは、マッコイズ時代のヒット曲「ハング・オン・スルーピー」、そしてジョニー・ウィンターとの共演でも知られる「ロックンロール・フーチー・クー」を披露。いっそう磨きのかかったギターとヴォーカルは、ショーのハイライトのひとつだった。

 リックへのインタビューで、その2曲の人気について訊くと、「実はアメリカではもう1曲、同じぐらい盛り上がる曲があるんだ」という予想外の返事があった。

「『リアル・アメリカン』という曲だ。プロレスラー、ハルク・ホーガンのテーマ曲だよ」

 そんな意外なスタートから、リックはプロレス、アル・ヤンコビック、ヴァン・ヘイレン、そしてエドガーとの交友について、知られざる事実を語ってくれた。

●プロレス業界と関わるようになったのは、どんなきっかけがあったのですか?

 シンディ・ローパーと、当時彼女のボーイフレンドでマネージャーだったデヴィッド・ウォルフを通じてだった。1980年代初め、シンディはブルー・エンジェルというグループで歌っていたんだ。彼女たちは1枚アルバムを出したけど、あまり売れなくて、レコード会社との契約を打ち切られそうになっていた。それで私がデモをプロデュースして、彼女のキャリアを後押しすることにした。結局ブルー・エンジェルは契約を獲得できなかったけど、その代わりにシンディはソロ・アーティストとしてデビューすることになった。そうして「ハイスクールはダンステリア」が大ヒットして、彼女は一躍有名になったんだ。元々彼女とデヴィッドはプロレスのファンだったから、WWF(現WWE)と交流するようになった。当時WWFはハルク・ホーガンがエースで、プロレスとロックンロールの融合を図っていたんだ。それで彼らは『ザ・レスリング・アルバム』(1985)という、レスラーの入場テーマ曲やレスラー自身が歌う曲を集めたアルバムを作ることにした。音楽プロデューサーが必要になったんで、シンディとデヴィッドが私を推薦してくれたのさ。「リック・デリンジャーはアル・ヤンコビックをプロデュースしているし、きっとプロレスラーだってプロデュース出来るはずだ!」って(笑)。

●あなた自身はプロレスファンだったのですか?

 1950年代、子供の頃にテレビで見ていたし、友達とフィギュア・フォー・レッグロック(四の字固め)やグレイプヴァイン・ホールド(コブラツイスト)をやって遊んでいたけど、当時のレスラーの名前は覚えていない。WWFと関わるようになって、また見るようになったけどね。ロディ・パイパーやジェシー”ザ・ボディ”ヴェンチュラとは友達になった。ただ、世界中をツアーしていると、プロレス中継の時間にテレビの前にいるのは不可能だから、つい疎遠になってしまうんだ。

●1980年代のWWFはロック・スターをリングに上げることが多く、シンディやオジー・オズボーン、アリス・クーパーなどがセコンドとして登場しましたが、あなた自身もプロレス中継に出演するオファーはなかったのですか?

 いや、なかった(苦笑)。オファーがあっても、試合はしなかっただろうな。セコンドだったら良いけど...もし指の骨でも折ったら、ギターを弾けなくなるからね。

●「リアル・アメリカン」はハルク・ホーガンの入場テーマ曲として有名ですが、元々は彼のテーマ曲ではなかったんですよね。

 うん、別のレスラー(バリー・ウィンダムとマイク・ロトンド)のために書いたんだけど、彼らはすぐにWWFを脱退してしまってね。そのままボツになってしまうところだったんだ。でもホーガンがすごく気に入って、どうしても自分のテーマ曲に使いたいと言ってくれたんだ。それ以来、「リアル・アメリカン」は世界中のプロレスファンはもちろん、その枠を超えて聴かれてきた。ヒラリー・クリントンは大統領選で自分のテーマ曲として使ったし、オバマ大統領の出生地詐称疑惑が持ち上がったときも、彼がアメリカ生まれだと確証がとれたとき、全米のTVニュース番組で「リアル・アメリカン」が流れた。下院議長のニュート・ギングリッチも自分のテーマ曲に使っていた。同じ曲が民主党と共和党の両方に使われるというのは珍しいことだよ。9.11以降、愛国ソングとして改めて脚光を浴びたこともあって、「リアル・アメリカン」は私の代表曲のひとつとなったんだ。

●「リアル・アメリカン」以外に、プロレスラーのテーマ曲はどんなものを手がけましたか?

 『ザ・レスリング・アルバム』とその続編『パイルドライバー/ザ・レスリング・アルバム2』(1987)という、2枚のアルバムをプロデュースしたんだ。どちらもとても良いアルバムだよ。その2枚に収録されている、デモリッションというタッグチームのテーマ曲も、私が書いたものだ。

●ホーガンはレスラーになる前、ロック・バンドでベースを弾いていたと言われていますが、実際にどの程度ベースを弾けたのでしょうか?

 ハルクはかなりベースを弾けたよ。『ザ・レスリング・アルバム2』で、アナウンサーのミーン・ジーン・オーカーランドが「ロックンロール・フーチー・クー」を歌っていて、そのミュージック・ビデオを作ったんだ。ミーン・ジーンがヴォーカル、私がギター、ハルクがベースという編成で、演奏するシーンがあった。曲の中盤でベースのトリッキーなフレーズがあって、その瞬間ハルクの手元がアップになるんで、どうやってそのフレーズを弾くか、教えることになったんだ。「教えてくれ、ブラザー!」って頼まれたよ。どうせ弾けやしないと思って、簡略化した運指のフレージングを教えたら、「そうじゃないだろブラザー!ちゃんとしたのを教えろ」と言われた。彼は誤魔化されないだけのベースの知識を持っていたということだ。

●さっきアル・ヤンコビックの話題が出ましたが、彼とはどのように知り合ったのですか?

 1980年代初め、アルが「アイ・ラヴ・ロックンロール」のパロディ・ソング「アイ・ラヴ・ロッキー・ロード」をレコーディングしようと、共作者のジェイク・フッカーに許可を求めにきた。当時ジェイクはミュージシャンを引退して、マネージメント業をやっていたんだ。それで私のマネージャーをしていて、アルを紹介してくれた。私も彼のことを気に入って、「一緒にアルバムを作ろう。スタジオ代は後でいいから!」と、デビューに協力することになった。そうして彼のアルバム6枚をプロデュースすることになったんだ。

●デビュー前の彼はアコーデオンでポルカ調にアレンジしたパロディ・ソングを演奏していたそうですが、アルバムでよりロック的なアプローチをとるようになったのは、あなたのプロデュースによるものだったのですか?

 いや、アル自身が望んだことだった。初期のアルは金もなかったし、アコーデオンで演奏していたけど、アルバムを出すにあたって、ある程度の前金は受け取っていたから、元ネタに近いアレンジを志したんだ。

●「今夜もEAT IT」であなたが弾いたギター・ソロは素晴らしいですね!

 あのソロは気に入っているけど、ちょっと一言いいたいことがあるんだ!エディ・ヴァン・ヘイレンが「リック・デリンジャーが自分のタッピング・テクニックをパクった」と発言しているのを読んだことがあるけど、とんでもない大ウソだ。俺が初めて右手のタッピングを見たのは、1970年代に俺と一緒にやっていたダニー・ジョンソンによるものだった。まだヴァン・ヘイレンがデビューする前の話だよ。エディは私がジョニー・ウィンターと一緒にやっていた頃(1970年代前半)からのファンで、私のバンド”デリンジャー”がロサンゼルスでショーをやるたびに見に来ていた。しかもデビュー前のヴァン・ヘイレンで「ロックンロール・フーチー・クー」をカヴァーしていたんだ。エディがダニーのプレイを見て、影響を受けたのは明らかだよ。ダニーは私と組む以前、ルイジアナでヴィニー・アピスとやっていた頃から、既にタッピングをやっていた。私はエディからパクったんじゃない。 ダニーから影響されたんだ。
(注:エディは後にダニーの在籍するバンド、プライヴェート・ライフの『シャドウズ』(1990)をプロデュースしている)

●ダニーはあなたとの活動を経て、アルカトラスでイングヴェイ・マルムスティーン、スティーヴ・ヴァイに続く三代目ギタリストとなりますが、前任者たちに匹敵するテクニックを彼は持っていましたか?

 いや、単純にテクニックだけだったら、ダニーはその2人に及ばないと思う。でも彼には、それを補ってあまりあるフィーリングとエモーションがあったよ。彼がデリンジャーに加入したとき、まだ19歳だった。それから35年経った今、彼はステッペンウルフで活躍している。第一線でやっていくのに、ギター・ヒーローである必要はないんだ。

●映画サントラ盤『パロディ放送局UHF』(1989)の後、アルと別れたのは、どんな事情があったのですか?

 アルは頭のいい人物だし、私がいなくても大丈夫だと思った。それに、彼のレコードはあまりに”本格的”になり過ぎた気がしたんだ。最初はアコーデオンで、安っぽいカヴァーをしていた。それが「FAT」(1988)の頃には、マイケル・ジャクソンが「BAD」で使ったのと同じシンセサイザーのプログラミングをクインシー・ジョーンズが貸してくれたり、話が大きくなっていったんだ。ちょうどその頃、私はまた自分の音楽をやりたい欲求が高まっていたし、エドガーから日本ツアーの誘いを受けていたから、アルとの仕事は一段落することにした。もちろん喧嘩別れしたわけじゃないし、彼とは今でも友達だ。また機会があったら、彼のレコードでギターを弾きたいね。

●エドガー・ウィンターとは『ホワイト・トラッシュ』(1971)以来、40年以上におよぶ付き合いですが、これほど長く関係が続いてきた秘訣は何でしょうか?

 秘訣なんてないよ。私とエドガー、そしてジョニー・ウィンターは友達なんだ。彼らは一流のミュージシャンだし、一緒にプレイして楽しい。今回の日本公演にしてもそうだけど、エドガーから誘われたらいつでも参加するよ。彼らとの友情は、一生続くだろうね。

●あなたはカトリックの家庭に生まれ、ゴスペル・アルバム『エイミング・4・ヘヴン』(2001)を発表するなど、クリスチャンとして知られている一方で、エドガーはサイエントロジーの教祖L.ロン・ハバードの作詞作曲による『ミッション・アース』(1986)を発表しています。宗教観をめぐって口論になったことはありませんか?

 ないよ(笑)。彼とは宗教と関係なく友達だし、あまり宗教について話すこともない。それにサイエントロジーは宗教というよりも、ひとつの知的価値観のようなものなんだ。だからサイエントロジストであるのと同時に、クリスチャンでもあることには、矛盾はないんだ。エドガーはクリスチャンでもあるんだよ。

●ぜひまた、日本でプレイして下さい。

 今回はエドガーのショーのゲストとして出演するから、演奏する曲数は少ないんだ。でも近いうちに、自分のリーダー・プロジェクトで日本を訪れることが出来るだろう。昔、日本のグループ(子供ばんど)をプロデュースしたこともあるし、日本には親しみを感じるんだ。その時はもっといろんな曲をプレイするよ。「リアル・アメリカン」もね(笑)!

2013年6月27日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:山崎智之

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