絶景のステージから、笑顔のひとときを。
〈前編〉

Kelvin Smith/ピアニスト

ピアノとの再会から、人生が変わった。

10歳で始めたピアノを、15歳のときに一度はやめてしまったKelvin Smith氏。時を経て彼はピアノを再開し、やがて屋外で演奏するようになります。なぜ彼は改めてピアノに向き合いだしたのか。なぜビーチや街中などで演奏するのか。ユニークな活動の理由に迫ります。

10歳で始めたピアノは好きだったものの、15歳でやめてしまった。

私は11人の兄弟姉妹に囲まれて育ちました。うちには、なぜか10歳になるとピアノレッスンを受けるという習わしがあったのです。私も例外ではなく10歳でピアノを始めました。応接間のピアノに列をつくる私たちに、先生は順番にレッスンをしてくれたものです。当時、弾いていた曲は、おなじみの子守歌や簡単なクラシック音楽など。ピアノを弾くのは好きだったものの、10代の私はどちらかというとヘビーなロックやポップミュージックに興味があったのと、ピアノのテストがどうにも好きになれず、15歳になる頃にはレッスンをやめてしまいました。

兄弟姉妹の中には、長くレッスンを続けて、人前で演奏できるほどの腕前になった者もいますが、私はそこまで上手ではありませんでした。その後も、ピアノを演奏することはほとんどなく、音楽はもっぱら聴くばかり。10代の頃はロックも好きでしたが、20代になると、ケルト音楽をはじめとした民俗音楽にも興味を持ったものです。

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タスマニアの州都ホバートに移住したのは2005年。美しい自然にあふれたこの島との出会いがあってこそ、現在のKelvinの活動がある。

再びピアノと向き合わせてくれた、運命の1曲。

15歳でジュエリー職人として働きだした私は、20歳になると自分のお店を持ち、結婚をして、音楽とは関わりのない日々を過ごしてきました。唯一、毎週日曜に通っていた教会で、ピアノ演奏をすることがあったものの、誰も弾く人がいないときにお手伝いをしていた程度です。

そんな私がピアノを再開したのは、映画「THE PIANO(邦題:ピアノレッスン)」のテーマ曲、「THE HEART ASKS PLEASURE FIRST(楽しみを 希う心)」を聞いたのがきっかけです。その美しいピアノの響きに、心を動かされました。頑張れば、自分にも弾けるんじゃないか。そう考えた私は、思い切って楽譜を購入。もともと何かに挑戦することは大好きでしたが、あまりに長くピアノから離れていたので、弾けるまでには18ヵ月もかかりました。それでも練習を続けられたのは、この曲があまりにも美しかったから。誰かに披露するためではなく、とにかく自分で演奏したいという思いが強かったのです。もしかしたら、どこかでピアノを再開するきっかけを探していたのかもしれません。

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ジュエリーづくり、ピアノ演奏のほかにも、レンガ積みの仕事に従事。この肉体労働を通じて「屋外でピアノを運ぶ体力を培っている」と笑って見せるKelvin

ピアニストデビューは、一流ホテルのバーだった。

ピアノを再開して 初めて人前で演奏したのは、「THE HEART ASKS PLEASURE FIRST」をマスターして半年が経った頃です。タスマニアの州都、ホバートのレストランバーで見かけたグランドピアノを弾いてみたくなり、思い切ってバーテンダーに「弾かせてくれないか」と声をかけたのです。そこは5つ星のホテル。ふさわしい身なりですらない私の言葉など、受け入れられるはずがありません。しかし、意外なことに返答は「どうぞ」の一言。私はピアノの響きを確かめるように弾き始めました。すると1曲目が終わらないうちに、立派な服装のホテリエがやってきて言うのです。「毎週金曜の夜、ここで弾いてみませんか?」と。定期的に人前で演奏するチャンスをつかんだ瞬間でした。

それ以降、週1回の演奏を続けています。少しずつレパートリーも増やして自信をつけてきました。それでも人前で演奏することには慣れません。そんな中で感じたのは「私はピアノを完璧に弾けるピアニストになりたいわけではない」ということです。私が望むのは、ピアノ演奏でリラックスできる空間をつくること。次第に、もっと別の場所でもピアノを弾いてみたいと思うようになりました。

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タスマニアの州都、ホバートにあるレストランバーにて。ここで定期演奏するチャンスをつかんだことから、レパートリーを増やし、ピアニストとしてのキャリアをスタートした。

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Kelvin Smithピアニスト
タスマニア在住のピアニスト。ジュエリー職人、牧師、レンガ積みなどの仕事をしつつ、ビーチや川辺、街中、ボートの上など、様々な場所にピアノを運び、屋外コンサートをする。絶景の中での演奏風景はさまざまなSNSを通じて世界中に広がり、注目を集めている。

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