[ サムネイル ] 『感性を研ぎすます、至高の音の探求』 #2

『感性を研ぎすます、至高の音の探求』

#2 音楽に没頭できるヘッドホン

2023年9月13日

楽器メーカーとしての印象が強いヤマハ。しかし、音響機器事業においても「至高の音」を探し求める旅はある。家庭用オーディオ機器の開発では、アーティストが込めた想いのすべてを表現し、聴く人の心を動かす「TRUE SOUND」を実現しようと、デバイス開発や環境づくりを行っている。

『感性を研ぎすます、至高の音の探求』(全3回)

#1 「一体感」というピアノの新しい可能性

そんな旅のひとつが、2022年12月に発売したフラッグシップヘッドホン「YH-5000SE」である。ヤマハの技術と感性を結集し、いま考え得る最高の音質を実現すると同時に、ユーザーが深く長く音楽に没入できる境地を目指して、装用性やデザイン、軽量化に徹底的にこだわった。それでは、YH-5000SEはどのようにして生まれてきたのだろう?

よみがえる70年代のテクノロジー

YH-5000SEの開発ストーリーは、ちょっとしたセレンディピティが息づく物語である。ヘッドホン、イヤホンの商品開発を担当する波多野亮らのチームは、新たな商品を思案するなかで、ヤマハが1976年発売のヘッドホン「HP-1」などに「オルソダイナミック™ドライバー」と呼ばれるテクノロジーを採用していたことを知った。

[ サムネイル ] クリエイター&コンシューマーオーディオ事業部 商品開発部 HP・EPグループ 波多野 亮
クリエイター&コンシューマーオーディオ事業部 商品開発部 HP・EPグループ 波多野 亮

「オルソ」はギリシャ語で「正しい」「まっすぐな」という意味を持つ言葉。振動板を均一に駆動して音をより正確に再現することが、オルソダイナミック™ドライバーの考え方であった。一般的なドーム状のドライバーではなく、平面磁界型のドライバーを採用したこの技術は、振動板全体を駆動するため応答性が高く、高域性能に優れ、ゆがみが少ない。しかし、開発・製造の技術的なハードルは非常に高く、ヤマハはHP-1が廃番した80年代半ば以降、オルソダイナミック™ドライバー採用のヘッドホンを開発してこなかった。

こうした歴史を調べるなかで、その設計思想やデザインを含めたムードに感銘を受けた波多野は、図面保管庫で当時の青焼き図面を発見。その長年眠っていた遺産との出会いが、YH-5000SE開発のヒントになっていったのだった。

学生時代にバンド活動に明け暮れていた波多野は、当時、小型スタジオモニターの代名詞のように語られていたヤマハの「NS-10M」に衝撃を受けたという。「ドラムの録音をしていたのですが、スネアをたたくスティックが目の前に現れるんじゃないかと思えるほどの解像度で音が浮かび上がって。こんな音まで再現できるのかと驚いたのを覚えています」。この時の衝撃が忘れられず、波多野はスピーカーエンジニアを志しヤマハに入社した。

ただ、40年前の技術をよみがえらせるといっても、当時の図面をそのまままねればよいわけではない。そもそも図面には詳細な記述がなく、理解に行き詰まることも多かった。「それでも考え方のヒントが与えられ、仕様の方向性を絞ることができたのはこの図面のおかげですね」(波多野)。デザイナーと一緒にモックアップをつくっては、社内で企画を通すために何度も提案を重ねた。波多野らの熱意は実を結び、ヤマハは2016年、「オルソダイナミック™ドライバーの復活」に動き出すことになる。

一つひとつの部品にエピソードがある

開発当初からわかっていたのは、このヘッドホンは日本の自社工場で生産するしかないということだった。「必要な部品には国内でしか手に入らないものが多く、試行錯誤してつくった精密なドライバーユニットを海外の工場へ輸送して組み立てるのも現実的ではない。最初から、これは国内でつくるしかないヘッドホンだと考えていました」と、YH-5000SEの機構・筐体設計を担当した小林力は振り返る。

[ サムネイル ] クリエイター&コンシューマーオーディオ事業部 商品開発部 HP・EPグループ 小林 力
クリエイター&コンシューマーオーディオ事業部 商品開発部 HP・EPグループ 小林 力

学生時代にバグパイプを吹き、大学の研究室では自動演奏ロボットの開発を行った小林にとって、ヤマハを志望したのはごく自然なことだった。入社後はホームオーディオから音声コミュニケーション機器まで幅広く担当し、ここ8年ほどはヘッドホン開発に携わっている。

YH-5000SE開発における小林の担当を一言で表すなら、「大変なところを全部やる係」である。考えている仕様を実現すべく、小林は波多野と共に各地の企業に足を運び、素材や部品などの検討を重ねた。要求品質レベルが高く、繊細な加工が必要な部品の製造依頼は何度も敬遠され、時に苦言を呈されることすらあった。それでも「部品調達から工場生産の軌道乗せまで携わり、『設計者の仕事』という範囲を超えて挑戦する日々には、大きなやりがいがありましたね」(小林)。

当時を思い出し、波多野も「一つひとつの部品にエピソードがある」と振り返った。困難な開発に立ち向かう二人にとって、挑戦の原動力になったのは、開発過程で出会った社内外の協力者の存在であった。

「このヘッドホンに携わった社内のデザイナーや、試作品をつくる段階から協力してくれた仲間たち。他にも、実際に仕事につながるかどうかわからないのに真剣に話を聞いてくれた部品メーカーの方など、多くの人の力を借りてここまで来ました。途中で断念するとは決して言えない。むしろ、そういう仲間のために続けたいと思っていました」(波多野)

こうした地道なプロセスを経て、2022年12月、ヤマハは46年ぶりにオルソダイナミック™ドライバーを搭載したヘッドホンYH-5000SEを発売した。波多野が古い図面を見つけてから、すでに6年もの月日が経過していた。完成した製品は、その重厚な見た目に反して約320グラムと軽く、頭と耳にフィットする着け心地を誇る。「YH-5000SEはハイエンドモデルにおけるゲームチェンジャーになるよ」。展示会や試聴イベントでこうした感想をもらうたび、波多野と小林は自分たちのコンセプトが使い手に届いていることを確信した。

手放せなくなる体験を、なるべく多くの人の手に

6年かけて、この常識外れのヘッドホンを完成させた二人。彼らがいま掲げる目標は、YH-5000SEをできるだけ長く製造・販売する環境を整えることだ。

というのも、YH-5000SEの価格は、ヘッドホンとしては規格外の495,000円。「いまは経済的に購入が難しいという方が、何年か先に余裕ができて、『よし買おう』と思ってくれた時に製品が存在していなかったら意味がない」と小林は言う。実際、日本の展示会では、「YH-5000SEを体験してものすごく感動したけれど、いますぐ買えるお金がない」と話す若いお客さまがいた。「苦労して世に送り出したのだから、ライフサイクルをできるだけ長くしたい。息の長い製品にするためには、お客さまの声に耳を傾け改善し続けることが不可欠だと思います」(小林)。

そのために、小林らはYH-5000SEを選んでくださったお客さまとヤマハとのつながり、そしてYH-5000SEのファン同士のつながりをつくりたいと考えている。ある意味マニアックなYH-5000SEを選ぶお客さまは、音に対して相当なこだわりがあるはずだ。また、国内外の展示会に参加してわかったことだが、「このヘッドホンが刺さる人はまだまだいる」。だからこそ、こんなとがったプロダクトを好む人たちに出会いの場を用意し、彼ら・彼女らがYH-5000SEについて、本物の音について思う存分語り合う機会を提供したい。波多野の頭の中には、そんな未来のユーザーに提案したい体験のイメージもすでにある。

夜、静まり返った部屋の中。机の上にあるのはヤマハのヘッドホンYH-5000SE。持ち主は夜な夜なYH-5000SEのもとに吸い寄せられて、自分のお気に入りの音楽に身をゆだねる。一日の終わりに訪れる至福の時間――波多野が思い描くのは、こんなイメージだ。「ユーザーの音楽ライフのそばには常にこのヘッドホンがあって、折に触れて手に取ると、昔聴いていた音楽の新たな魅力を発見したり、『自分はやっぱり音楽が好きなんだ』と思い知ったりする。ヤマハは、ユーザーがそれまで気づかなかった音楽の魅力や、自分自身について、常に新たな発見をもたらす存在でありたいと思います」(波多野)。

深く、長く音楽に没入できるヘッドホンをコンセプトに開発されたYH-5000SEと、前回紹介したヤマハの最高峰コンサートグランドピアノCFX。両者は、「至高の音を探求し、その音に触れることで感性が研ぎすまされる」という点でつながっている。次回はいよいよ、この二つの製品を貫く「Key」に迫ります。お楽しみに。

(取材:2023年6月)

前の記事を見る #1 「一体感」というピアノの新しい可能性
次の記事を見る #3 作り手と使い手の、「感性」のこれから

波多野 亮|RYO HADANO

クリエイター&コンシューマーオーディオ事業部 商品開発部 HP・EPグループ。学生時代にヤマハのスピーカーNS-10Mに衝撃を受け、スピーカーエンジニアを志してヤマハに入社。YH-5000SEでは主に音響設計を担当した。

小林 力|CHIKARA KOBAYASHI

クリエイター&コンシューマーオーディオ事業部 商品開発部 HP・EPグループ。学生時代にはバグパイプを吹き、大学の研究室では自動演奏ロボットの開発を行った。ヤマハ入社後はホームオーディオや音声コミュニケーション機器などの製品開発を担当し、YH-5000SEでは開発主務と機構・筐体設計を担当した。

※所属は取材当時のもの

『感性を研ぎすます、至高の音の探求』(全3回)

#1 「一体感」というピアノの新しい可能性

#2 音楽に没頭できるヘッドホン

#3 作り手と使い手の、「感性」のこれから