[ サムネイル ] 『感性を研ぎすます、至高の音の探求』 #1

『感性を研ぎすます、至高の音の探求』

#1 「一体感」というピアノの新しい可能性

2023年9月13日

ヤマハのピアノづくりはいまから123年前、1900年に始まった。それ以降のヤマハのピアノ開発の歩みに名前を付けるとしたら、「至高の音を求め、1ミリずつ山を登る挑戦の旅」と言えるかもしれない。

1950年にはヤマハ初のコンサートグランドピアノFCが誕生。以降、優秀な技術者を養成するピアノテクニカルアカデミーや、トップアーティストに寄り添い、共に最高のピアノづくりを目指すアーティストサービスなども設立し、良質な音を探し続ける挑戦を加速させていった。

その後も、1ミリずつ高みを目指すような取り組みを続け、2022年3月には、12年という時をかけて開発したコンサートグランドピアノ新CFXが誕生した。この時、ヤマハのピアノ開発者らは確信したという。自分たちはついに、「奏者とピアノが一体になり、意のままに謳い奏でるという新境地にたどり着いた」のだと。

コンサートホールの隅々まで音が響くように

新CFXの開発が始まったのは、初代CFXが生まれた2010年のことである。

当時のヤマハが持てる技術をすべて注ぎ込み、最高峰を目指したフラッグシップモデルCFX。それは「かつてない素晴らしい音質」と高く評価されたが、世界で活躍するピアニストの一部からは「大きな会場では存在感が足りない」という指摘も寄せられた。協奏曲の演奏などでオーケストラに埋もれない演奏を繰り広げるには、コンサートホールの隅々までピアノの音を響かせなくてはならない。広大なホールの一番後ろまで確かな音を届けるためにはどうすればよいか? 新CFXの開発は、こんな問いからスタートしたのである。

新CFXの開発チームで響板やハンマーなど音質に関わる部品の技術開発を担当した野坂陽一は、実は、初代CFXの音色に魅了されたひとりであった。野坂は2010年のショパン国際ピアノコンクールで初代CFXの音を聴いた時、何百年も前に確立したピアノに、まだ改良の余地があることに衝撃を受けたという。「自分もヤマハで次世代のピアノ開発に携わりたい」。野坂の願いは叶えられ、入社3年目から新CFX開発チームに加わることになった。

[ サムネイル ] 楽器事業本部 FPグループ 野坂陽一
楽器事業本部 FPグループ 野坂陽一

コンサートでの華やかなイメージとは対照的に、ピアノ開発は地道な仮説検証の繰り返しである。ピアニストと対話し、「弾き手が奏でたい音はどんな音なのか」を突き詰め、仮説を立てる。その後、響板や鍵盤といったパーツをつくる職人たちと音づくりの方向性を共有し、試作品を開発する。そして、その試作品を実際にピアニストに評価してもらい、どれくらい理想に近づけたのかを検証する。半年から1年近くかかるこの検証サイクルを、何度も何度も繰り返すのだ。

そんな途方もなく長いプロセスから生まれてきたのが、「ユニボディコンセプト」と呼ばれる設計思想である。ピアニストが思い描いた音を遠くまで届けるためには、ピアノの中の隔たりを可能な限りなくすことが必要だ。すべてのパーツが巧みに合わさって一体化したボディなら、伝達のエネルギーロスを最小限に抑え、コンサートホールの空間をその音色で満たすことができる。これが、新CFXの仮説検証の中で開発陣が行き着いた結論であった。

「楽器全体を一体的に響かせること、どこを振動させても全体に伝わることを目指して、一つひとつの仕様を見直しました。その結果、ピアニストが自分の体の一部のように扱えるピアノを実現できたのです」(野坂)。実際、あるピアニストは新CFXの試作品を3時間も弾いた後、「自分の指とハンマーが完全にくっついて、思った通りの表現ができた」と満足げな表情を見せた。「この一体感こそ私たちが目指すものだったので、この言葉を聞いた時には本当にうれしかったですね」(野坂)

日本人の「感性」を組み込んだピアノの可能性

それにしても、ひとつの製品開発に12年もかけるというのは並大抵ではない。新CFXに注いだ12年という時間――その開発プロセスで最も困難だったことはなんだろう?

開発を率いた堀田哲夫は、この問いの答えは12年という時間の枠内で語れるものではないと教えてくれた。それは、「ヤマハが初めてコンサートグランドピアノを開発した1950年以来の、73年間の困難」と同義だからである。

「そもそもクラシック音楽やその文化は西洋を中心に受け継がれ、発展してきたもの。こうした文化的背景のある楽器を東洋の日本で開発し、西洋に持ち込むためには、本当に深いところまで西洋文化を理解しなければいけない。文化や風土といったさまざまな壁を超えた仕事をしなければいけないのです。そのためになにが必要かを考えるのはすごく面白いけれど、同時にすごく難しく、日々の仕事に忙殺されていては本質までたどり着けない。それがピアノ開発の一番の難しさだと思っています」(堀田)

[ サムネイル ] 楽器事業本部 FPグループ 堀田哲夫
楽器事業本部 FPグループ 堀田哲夫

兄の影響で3歳からピアノを弾き始めた堀田は、大学時代にはコンサートホールの音響に関する研究を行った。幼少期から弾いていたピアノと、コンサートホールの音響研究という二つの経験――その両方を生かそうと思ったら、ヤマハで働くことが最も合理的な選択肢だった。

堀田は2011年から2年間ドイツに駐在し、ヨーロッパの音楽文化に身を浸した。新CFXが完成したいま、堀田は日本製ピアノの可能性をこれまで以上に感じている。

「ヤマハの楽器づくりのDNAには、繊細な部分を徹底してつくり込む日本特有の『感性』が組み込まれています。西洋の価値観をベースに、日本人の感性をプラスすれば、西洋のピアノとは異なる味わいで、人々の心に響くものをつくれるのではないか。実際、20世紀を代表するピアニストであるスヴャトスラフ・リヒテルはヤマハのCFを心から愛していました。いまさらながら、『ヤマハのピアノは心の感度を表現できる楽器だ』というリヒテルの言葉が少しずつ腑に落ちてきているんです」(堀田)

過去の想いが、現在にも響いている

6歳からピアノを習い始めた野坂と3歳からピアノに親しんできた堀田。二人の音楽の原体験を掘り下げてみると、彼らが新CFXの開発担当者になったのは必然だったと思えてくる。

野坂は初代CFXの演奏を聴いたショパン国際ピアノコンクール以外にも、学生時代からさまざまなピアノコンクールに足を運んでいた。ヤマハの本社がある浜松市にも、浜松国際ピアノコンクールを聴きに訪れた。かつては観客としてヤマハの音色を聴いていたが、いまでは自分が開発に携わったピアノが奏でられるのを、同じ会場で見守るようになった。

一方、堀田は学生時代に「本当にいい演奏とはなにか」を教えてくれたリヒテルの演奏録音が、ヤマハのピアノで行われていたことに縁を感じている。リヒテルのピアノの調律をしたのもヤマハの技術者だった。「リヒテルとヤマハのピアノ、そしてヤマハの技術者。この三者がつくり上げた作品から、私は強烈なメッセージを受け取りました。だからこそ、いまこうして自分がヤマハでピアノ開発に携わっている事実に、すごく運命的なものを感じてしまうのです」。

演奏者と技術者、楽器開発者。123年前から感動をともに創り続けてきた先人たちのバトンを受けて、堀田と野坂はいま、ヤマハのピアノの未来をどのように描いているのだろう?

堀田はユニボディコンセプトを実現した新CFXが示す「ピアノ表現の新たな可能性」を発信し続けることで、アーティストのたゆまぬ挑戦を後押しできると考えている。「CFXならではの表現がある。その確信はきっと、アーティスト自身の新たな挑戦を促します。われわれは彼らが至高の表現を追求し続けるのを後押しする存在でありたい」(堀田)

野坂も言う。「ピアニスト自身が『他のピアノではできない表現がCFXなら可能になる』と思ってくれたなら、10年後、20年後には、世界の多くのコンサートホールでヤマハのピアノが使われることがもっと自然になるでしょう。いまよりもっと多くの人にCFXの音色を届けられる、そんな時代を迎えたいですね」。

「至高の音」を求め続けるヤマハの挑戦は、コンサートグランドピアノ以外にも数多くある。次回はヤマハの技術を結集し、圧倒的な音質を実現したフラッグシップヘッドホン「YH-5000SE」の開発ストーリーをお届けします。

(取材:2023年6月)

次の記事を見る #2 音楽に没頭できるヘッドホン

堀田哲夫|TETSUO HOTTA

楽器事業本部 FPグループ所属。幼少期からピアノを弾き、大学では建築学科でコンサートホールの音響に関する研究を行う。新CFX開発プロジェクトでは、ピアノ開発部門、研究開発チーム、要素技術開発チームなど約60名体制の開発を主導した。

野坂陽一|YOICHI NOZAKA

楽器事業本部 FPグループ所属。2010年のショパン国際ピアノコンクールで使われた初代CFXでの演奏を聴き、次世代ピアノ開発に携わることを志す。新CFXでは、響板やハンマーをメインに音質に関わる部品の技術開発を担当した。

※所属は取材当時のもの

参考:

冒頭掲載写真:「CFX」新モデル発表記念プレミアムコンサート ピアニスト若林顕 東京オペラシティコンサートホール(2022年3月)

『感性を研ぎすます、至高の音の探求』(全3回)

#1 「一体感」というピアノの新しい可能性

#2 音楽に没頭できるヘッドホン

#3 作り手と使い手の、「感性」のこれから