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音楽ライター記事

ライター:山崎│配信日:2013年10月24日│配信テーマ:洋楽  

ドクター・ジョン・インタビュー/生ける伝説が語るニューオリンズ今昔物語


 ニューオリンズ・ミュージックの伝説、ドクター・ジョンが2013年9月から10月にかけて、 来日公演を行った。72歳という大ベテランの彼だが、新編成のバック・バンドを従え、日替わりセット・リストのライヴを披露。聴く者を暖かく包み込むファンキーでソウルフルなサウンドで魅せてくれた。スタンダード「アイコ・アイコ」、『ザ・バンド/ラスト・ワルツ』でもおなじみ「サッチ・ア・ナイト」などの名曲も演奏され、東京ミッドタウンをミシシッピの湿地帯にしてしまった。

 大物ミュージシャン、しかもヴードゥーの呪術師という肩書きも持つドクター・ジョンを前にして、筆者(山崎)も身構えてしまったが、いざインタビューが始まると、その語り口は優しく穏やかなものだった。彼の言葉を通じて、ニューオリンズへと旅立とう。

●ニューオリンズというとジャズやブルース、ケイジャン・ミュージックやザディコなど、”音楽の都”というイメージがあります。歓楽街バーボン・ストリートではバンドが酒場で演奏して、年に一度のマルディグラではパレードで踊って...そんな固定観念的イメージは、ニューオリンズを過剰にロマンチックに思い描いているのでしょうか?

 いや、実際にニューオリンズはそんな町だよ(笑)。みんなが歌って、踊る。もちろん貧困や犯罪もあるけど、音楽好きが一晩過ごしたら、一生忘れられない経験をするだろう。これでもかなり大人しくなった方なんだ。昔のニューオリンズでは、カナル・ストリートが最大の歓楽街だった。酒場やクラブが軒を連ねて、キューバやハイチの移民、そして地元の人々が毎日お祭り騒ぎだった。ブラス・レイル、テキサス・ラウンジ、モンキー・ポー...カナル・ストリートが一番だった。バーボン・ストリートは二番目だったんだ。でも1960年代、ジム・ギャリソンが地方検事になって、すべてが変わってしまった。ギャリソンはみんなが楽しくパーティーしているところに踏み込んで、アルコール違法販売や売春を摘発したんだ。それでカナル・ストリートは衰退して、バーボン・ストリートが観光客向けの繁華街になった。音楽は常に鳴り響いているし、昔より治安も良くなったけど、それと引き替えに何か大事なものが失われてしまったんだ。

●ニューオリンズをロマンチックに思い描いているのは、我々日本人だけでなく、イギリス人もそうですよね。ミック・ジャガーやエリック・クラプトン、ポール・ウェラーなど、多くのイギリス人アーティストがニューオリンズの”モジョ”を求めて、あなたと共演を果たしてきました。

 うん、彼らはニューオリンズの音楽の良い部分を、自分たちの音楽にうまく取り入れてきた。彼らが素晴らしいレコードを作るのに私が貢献できたとしたら、光栄だね。

●クラプトンは当時ジョージ・ハリソンの奥方だったパティ・ボイドとの恋が成就するように、あなたに魔法の小箱をもらったそうですが、その中には何が入っていたのですか?

 それは秘密だ。魔法が失われてしまうからね。私は15歳の頃からヴードゥーを実践してきたし、エリックは素晴らしい人間だから、魔法の小箱をあげたんだ。

●クラプトン以外に、ヴードゥーのマジックをかけてくれと頼んできたミュージシャンはいますか?

 ああ、何人から頼まれたことがある。でも、その人のプライベートな部分に関わることだし、私から話すことはない。エリックは彼の自伝に書いたから、その部分は話せるけどね。

●ヴードゥーを呪いに使ったことはありますか?あなたの自伝『フードゥー・ムーンの下で』でヴァン・モリソンを”殴り飛ばしてやりたい”と書いていましたが、彼に呪いをかけたりしましたか?

 彼に呪いをかけることを考えてもよかったけど、結局しなかった。彼は素晴らしいヴォーカリストだし、特別な才能を持っている。そんな人物を呪うことは、したくなかったんだ。私には、他人を裁く権利はない。ヴードゥーは人生にバランスをもたらすものであって、ネガティヴなものに囚われたくなかったんだ。他人を呪うことは、回り回って自分を呪うことになってしまう。

●ローリング・ストーンズの『メイン・ストリートのならず者』のレコーディングに参加したのも、あまり心地よい経験ではなかったそうですが...。

 一緒にスタジオでやっている時は、けっこう楽しかったんだ。ストーンズのドラマー(チャーリー・ワッツ)は良いテクニックを持っていた。でも、いざアルバムが出てみたら、スタジオで長い時間を費やしたにも関わらず、私の演奏はほとんどがボツになっていた。私とアール・キングで『ポルノグラフィック・ブルース』というアルバム1枚分の曲を書いて、ストーンズにレコーディングさせようという考えもあったんだ。でも彼らはそのアイディアだけを使って、『コックサッカー・ブルース』という映画を作ってしまった。何だか騙された気分になったね。ただ、今では彼らと普通に話すよ。私は昔のことは忘れてしまうんだ。こないだもアレサ・フランクリンのアルバムで、自分がパーカッションを叩いているのを初めて聴いた。そんなセッションをやったなんて、覚えてなかったんだ。

●今回の来日公演でアール・キングの「カム・オン」をプレイしていましたが、私がこの曲を初めて聴いたのは、ジミ・ヘンドリックスによるヴァージョンでした。あなたはジミと面識はありましたか?

 うん、ジミがリトル・リチャードのバンドにいた頃に知り合ったんだ。いい奴だった。その頃から凄い才能の持ち主であることは明らかだったし、ステージで主役の座を奪ってしまうことすらあった。だから彼はクビになったんだ。それからずっと後、スティーヴィ・レイ・ヴォーンと友達になってから、しょっちゅうアール・キングやジミについて訊かれた。彼らの人柄やギター・プレイについて、根掘り葉掘り訊かれたよ(笑)。

●最新作『ロックド・ダウン』(2012)ではブラック・キーズとの共演が話題を呼びましたが、かつて『イン・ザ・ライト・プレイス』(197
3)で若手だったミーターズを起用したのと同じ意味合いがあったのでしょうか?

 そういうわけではないけどね。一緒のフェスティバルに出演して、良いバンドがいたら忘れないようにしている。勢いがあるミュージシャンと一緒にやると、熱気を感じるんだ。私の新しいバンド、ナイト・トリッパーズのメンバーもそうだよ。私はもう歳をとったし、熱気を維持するのが難しい。だから彼らから少しばかり、分けてもらうんだ。ブラック・キーズは孫娘に聴かせてもらったのが最初だった。しばらくして、ダン・オーバックが電話してきたのには驚いたよ。もはや偶然ではないと思って、一緒にやることにした。本当は、もっといろんな人の音楽を聴きたいんだけどね。世界中を旅して、毎晩ステージに上がっていると、そういう訳にもいかないんだ。

●現在のニューオリンズの音楽シーンは、ヒップホップやエレクトロニカ、ヘヴィ・メタルなど、さらに多様なものになっています。そんな状況についてどう考えますか?

 良いことだよ。私はすべての音楽が好きだ。大昔、スタジオ・ミュージシャンをやっていた頃、先輩に言われたんだ。「どんな音楽でも、巧く弾けなければならない。巧く弾けない音楽があったら、巧く弾けるように練習しろ」ってね。私は必ずしも優秀なセッション・ミュージシャンではなかったし、あらゆる音楽をプレイ出来たわけではなかったけど、そうあろうと努力はした。

●あなたがエレクトロニカやヘヴィ・メタルをやっている姿は想像できませんが...。

 ははは、そうだな(笑)。次のアルバムでやってみたら面白いかも知れない。考えてみるよ。

●パンテラのシンガーがニューオリンズ出身でしたが、このバンドは知っていますか?

 ...もしかしたら耳にしたことがあるかも知れないけど、知らないバンドだ。機会があったら聴いてみるよ。

●ぜひまた、日本でライヴを見ることが出来るのを楽しみにしています。

 私は人生のすべてを流れに任せているんだ。 でもおそらく、あと何回か日本に来ることが出来る筈だ。その日が来るのを、私自身楽しみにしているよ。

2013年10月24日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:山崎智之

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