障がいがあってもプロの演奏家を目指せる社会を。
〈前編〉

Vahakn Matossian/デザイナー、発明家

音楽×デザインで楽器づくりの道へ。

重い障がいを抱えた人でも自由に演奏ができるデバイス「Human Instruments」の開発に取り組むVahakn Matossian氏。音楽一家で育ちながらもデザイナーとしてのキャリアを選択した氏が、独自の楽器づくりに取り組み始めたきっかけは何だったのか。音楽とものづくりが交差する活動の原点に迫ります。

15歳で作曲に目覚めるほど、音楽が身近だった少年時代。

音楽に関しては、子どもの頃からとても恵まれていたと思います。父はシュトックハウゼンとも仕事をしていた現代音楽の作曲家で、母は作曲家クセナキスの伝記も書いた文筆家。家には膨大なアナログレコードのコレクションがあり、ロックやクラシック、レゲエとさまざまなジャンルの音楽に触れて育ちました。

初めてギターを手にしたのは1994年、11歳のとき。「当時のヒーローはジミ・ヘンドリクスだった」とVahakn

11歳の頃には、友人から教えてもらったバンド「The Prodigy」に夢中になります。まだクラブには入れない年齢でしたが、レイブ音楽がどういうものかを彼らの楽曲から学びました。他に興味を惹かれたのは、ジャマイカ移民がロンドンに持ち込んだハードコアのレゲエや、当時流行っていたジャングル、ドラムンベースなど。自分たちでもパーティをしてみたくなり、兄と一緒にDJを始めたのもその頃です。演奏面では、ギター、ピアノ、ドラムを習い、15歳のときには作曲にも目覚めます。父がたまに地域の音楽教室で教えていて、そこでシーケンサーの使い方を学んだのがきっかけです。普段聴いている音楽がどのように作られているかを理解すると、すぐに自分でも作ってみたくなりました。演奏するのも曲を作るのも好きで、かつてはプロのミュージシャンになりたい気持ちもありました。ただ、楽器のレッスンが嫌いだったこともあり、次第に音楽はあくまでもライフワークと捉えるようになっていったのです。

手がけたものが商業的に取引されることへの違和感から。

若い頃からものづくりが得意だった僕が、ブライトン大学で専攻したのはデザインと彫刻でした。音楽はホームスタジオとヘッドホン、ターンテーブルさえあればできたし、デザインの道を進めば音楽のためのものづくりができると思ったのです。大学卒業後に就職してから1年が経った頃、あらためてRoyal College of Artの修士課程に進学します。卒業後は世界中を飛び回りながらデザインやアートの展覧会に参加したり、ロンドンにスタジオを構えて制作依頼を受けたりと、デザイナーとして充実した日々を過ごしていました。しかし同時に、仕事に対してもどかしさを感じることも増えていきます。自分が手がけたすべてのものが商業的に取引され、結局ある程度お金を持っている人の手だけに渡る。この現実に対して、強い違和感を覚えはじめたのです。

もともと私はエコロジーに興味があって、当時はたとえば海を掃除するロボットや穀物から作るプラスチックのような、環境に優しいものを開発したいと思っていました。ですので、なおさら商業的なものづくりへの違和感が膨らんでいったのかもしれません。ただ、優秀なデザイナーが数多くいるロンドンでは、あまり仕事を選り好みしていられない状況もありました。そんなときに、ちょうど父が「ブリティッシュ・パラオーケストラ」という、世界初の障がい者のためのオーケストラを始めます。尊敬する父の活動を手伝うようになったのは自然な流れでした。

2007年、Royal College of Artの修士課程へ。改めてプロダクトデザインについて学んだ。

演奏を聴いて芽生えたリスペクトをきっかけに。

私は当初、デザイナーではなくプロジェクトのサポートという形でオーケストラに参加しました。そこですぐに気がついたのは、障がい者向けの楽器が世の中にはほとんど存在しないという事実です。イギリスでは、高齢者も含めて全人口の5人にひとりが障がい者として登録されています。その中には、音楽に関わっている人や、楽器を弾いてみたい人も数多くいるはずです。私はいわば使命感のようなものに駆られ、障がい者向けの楽器づくりに取り組み始めました。

ほかにも、転機となった出来事がありました。障がいを持ったあるミュージシャンの演奏を聴いたときのことです。彼らの演奏は、他の健常者の演奏にはないほどの繊細さがありました。それは当時の私にとっては驚くべきことでした。ハンディキャップをまったく感じさせない、ただただ素晴らしい演奏。終わった後に話を聞きに行くと、彼らはこれまでの道のりの険しさについて率直に語ってくれました。障がいを持ちながらも音楽に向き合おうとする人に対して、本当の意味でのリスペクトの念が芽生えた瞬間です。彼らのような人たちの力になりたい。Human Instrumentsのプロジェクトに本腰を入れ始めたのは、そんな思いが募ってきたからです。

上半身、腕、指の力が弱い人のために生み出されたMIDI楽器、Touch Chordを弾く音楽家のJohn Kelly氏。右側のキーを押さえているときに、左側のパッドを押さえると、コードを奏でられる。この楽器は、Bare Conductive社と共同で開発。

後編を見る

Vahakn Matossianデザイナー、発明家
ロンドン在住のデザイナー。音楽一家で育ち、現在もDJ、ミュージシャンとして活動。父の主催する障がい者向けオーケストラに関わったことをきっかけに、重い障がいがあっても演奏可能なデバイスの開発に取り組む「Human Instruments」という会社を立ち上げた。

取材日:

おすすめのストーリー