音楽を楽しむ。
これはすべての人間の資質です。
<前編>

Kevin Zakresky/指揮者

「魂の共有」という歓び。

指導者から背中を押されて指揮者としての第一歩を歩み出したKevin Zakresky氏にとって指揮の魅力とは「みんなで音楽を形にし、みんなで魂を共有する」こと。音楽とともに生きる幸せを心から味わいながらキャリアを重ねてきた氏にとっての音楽に迫ります。

僕にとってピアノは、一生ものの表現手段。

僕が最初に出会った楽器。それはピアノです。6、7歳の頃、双子の弟とともにピアノのレッスンに通い出した途端、僕はすっかりピアノの虜になりました。うちの家は決して裕福ではなかったけれど母は教育熱心で、中古とはいえ高価なピアノを私たちが幼い頃に用意してくれたのです。もっとも弟のほうはピアノよりもテレビゲームに夢中で、すぐにピアノからは去ってしまいましたけどね(笑)。

音楽の世界では指揮者として知られている僕ですが、今でもピアノは大好きです。もはや僕の声といってもいいでしょう。超絶技巧が求められるピアノ協奏曲をオーケストラで演奏するほどのテクニックは持ちあわせていませんが、今でも大学でピアノを弾きながら教えることもありますし、指揮をしながらピアノを弾くこともあります。プロの指揮者になった現在でも、ピアノは僕の大切な表現手段であり続けています。

16才の時(写真奥)。
地元の音楽祭の開会式でピアノの先生と演奏。

歌や指揮には、みんなで音楽を分かちあう愉しみがある。

長らくピアノ一辺倒だった僕が、それ以外の音楽活動にも目を向けたのは大学時代。大学進学を機にバンクーバーに出てくると、大勢の音楽仲間との出会いに恵まれ、みんなで音楽をつくり上げるオペラやクワイヤ(合唱団)で歌うことに惹かれました。だからといってピアノから歌に転向したわけではありません。自分の音楽活動がひとつ増えただけです。指揮についても同じで、先生から薦められて最初はクワイヤで、次にオペラで、最終的にオーケストラで指揮棒を振りましたが、僕としてはピアノから転向したつもりはありませんでした。

ただし、指揮については「自分には向いているかもしれない」「向いている自分が引き請けるべきだ」と感じたのも事実です。以前から学校のディベートなどの場面で「自分には集団をまとめる能力がある」と薄々気づいていたからです。指揮者を始めてからは、多くの指揮者が持つ「問題に優先順位を付けて解決していく能力」が自分にあることもわかってきました。もちろん譜面を目にすれば、音楽がどう展開していくかも理解できます。いずれにしても、他の人がやらないなら「向いていそうな自分がやろう」と半ば義務感から志願した部分もあったものの、やるうちに指揮の魅力にドンドンはまっていったわけです。

「死んでもいい」と思えるほどの感動に身を包まれる。

指揮者である自分の役目は、ミュージシャンたちが能力を発揮できる場をつくっていくこと。たとえばコンチェルト(協奏曲)の場合なら、バイオリンやチェロなどのソリストがいます。彼らにとって即興を交えながら自由に表現できるソロは、究極の見せ場です。そこで彼らが最高のパフォーマンスを発揮できるように、僕はオーケストラとともに全力でサポートする。これこそが指揮者の歓びです。

そのため僕が指揮をしたとしても、オーケストラが違えば音楽もガラリと変わります。もちろん指揮者それぞれにも「こういう音楽にしたい」という好みはありますが、オーケストラが変われば音楽も変わるのが常。だからこそ、どれだけ指揮をやっても飽きることはありません。僕にとっては、そのあたりも指揮の面白さのひとつです。

ほかにもベートーヴェンの交響曲第九番のような壮大な曲をフルオーケストラで演奏して、全員で魂を共有するのも最高。何ものにも変えがたい体験です。指揮をしているときには心底「僕はこの瞬間のために指揮をしているのだ」と感じます。「これを味わえたら死んでもいい」とすら思います。もちろん僕はまだ生きていますが(笑)、これらたくさんの魅力に取りつかれながら指揮者を続けてきました。

魂を共有する瞬間、心が震えるんだ。
(カナダのプリンスジョージ交響楽団)

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Kevin Zakresky指揮者
カナダ、バンクーバー在住。地元では「プレイヤーズ・アンド・シンガース」のディレクターを担当。ゼルダシンフォニーの指揮者として世界中を駆けめぐるほか、北米全域でたくさんのオーケストラの指揮を行ってきた。2012年イエール大学で博士号を取得。

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