第3回 国際ユニヴァーサルデザイン会議
2010 in はままつ

出展試作品のご紹介と、国際ユニヴァーサルデザイン会議参加にあたっての宣言文を掲載しています。

会期 2010年10月30日(土)~11月3日(祝)
会場 静岡県浜松市・アクトシティ浜松、ほか
主催 国際ユニヴァーサルデザイン協議会(IAUD)

1.はじめに

music for you, music with all.
音楽を あなたに、みんなに、誰にでも。

音楽はもともと、心臓の鼓動から生まれたという説があります。
ドキドキというビートが、リズムになっていきました。

それから音楽はずっと、人々の感性と共にありました。
勇気を奮い立たせ、祝祭を彩り、恋を意識させ、幸せを感じさせる。
怒りを増幅させ、疲れを癒し、哀しみを味わわせ、忘れさせる。

音楽を作ったり、演奏してみせたり、聴き合ったり。
一緒に唄ったり踊ったり、歓んだり哀しんだり、泣いたり笑ったり。
音楽の共有は、いつも人々の気持ちを伝えてきました。

これからの時代の、豊かなコミュニケーションや、共生社会の実現に、
音楽の持つ価値は一層必要とされます。
ヤマハは、この価値を信じて、120年以上歩んできました。
そして今こそ、更なるチャレンジに、新たな1歩を踏み出します。
音楽的な表現や楽しみ方を、さらに深めていくこと。
音楽の持つ価値を、音楽という分野を超えて生かすこと。
これらの試みは、1つの宣言に集約されます。

music for you, music with all.
音楽を あなたに、みんなに、誰にでも。


2.これまでのヤマハの歩み

国産オルガンをつくろう。

ヤマハは楽器を作る会社としてはじまりました。創始者は山葉寅楠(やまはとらくす)といいます。創業のきっかけは、寅楠がとあるオルガンに出会ったことでした。今から120年以上も前の1887年、静岡県浜松市にある浜松尋常小学校(現在の元城小学校)で、1台のオルガンが壊れ音を失いました。当時のオルガンは全て輸入品で大変貴重なもの。国内には、特別な修理工もいませんでした。困った学校関係者は、浜松で医療機械の修理工として腕がよいと評判だった寅楠に相談をもちかけたのです。寅楠は早速調査に取りかかり、故障した部分を突き止めます。そして、修理をするかたわら、オルガンの構造を書き写しました。
“オルガンを日本国内で作ることができれば国益になる、人々のためになる”、寅楠はそう考えたのです。こうして寅楠は、国内初のオルガン製作に取り組みます。しかし、最初に作ったオルガンを専門家に鑑定してもらうと、「これではオルガンといえない」といわれてしまいます。確かに、音が出る“オルガンという機械”を作ることができましたが、音楽の知識がなかった寅楠は、“オルガンという楽器づくり”に失敗したのです。それは寅楠にとって、大きな衝撃でした。

ヤマハ誕生。

寅楠がオルガンの鑑定をお願いしたのは、現在の東京芸術大学。当時は車などありません。寅楠は鑑定のために、約250キロの道のりを、オルガンを担いで歩きました。その情熱に打たれた当時の審査官は、寅楠に大学で音楽を学ぶことを許してくれます。約1ヶ月間の勉強の甲斐があって、寅楠は、遂に音楽を奏でられるオルガンを作り出し、日本初の国産オルガンを生み出します。寅楠は、単なる「音」を「音楽」に変えることに成功したのです。そして、1889年、合資会社山葉風琴製造所を設立し、オルガン販売をスタート。1897年には社名を日本楽器製造株式会社とし、本格的なビジネスを始めました。これが現在のヤマハです。オルガンの存在は、当時の日本に大きな影響を与えました。小学校にはオルガンの音色が響き渡るようになりました。教師がオルガンを奏でる姿が、学校生活に溶け込んでいきました。中には、オルガンに触れたことで、音楽の先生や、音楽家になろうと考えた子供も数多くいたことでしょう。寅楠は、1887年の修理をきっかけに、その後の日本を美しいオルガンの音色で満たしたのです。

音楽の価値を知る。

あれから123年。ヤマハはずっと変わらず音楽の素晴らしさを発信し続けてきました。ヤマハ音楽教室の生徒は年間60万人を超え、全世界に音楽を楽しめる人を生み出し続けています。楽器はオルガンのみならず、ピアノからバイオリン、管楽器やギター、ドラムセットまで、色々な楽器を製造販売しています。特に近年の電子楽器の登場以降、より簡単に高度な音楽を楽しめるような道具へと楽器は進化を続けており、以前は限られた人しか楽しめなかった音楽が、より身近な存在になってきました。また、音楽を聴くための道具、音響装置やオーディオ機器においても、楽器の音を作っているヤマハならではのこだわりから、様々な新技術を生み出してきました。さらに、ソフトウェアやネットテクノロジーに至るまで広くビジネスを展開し、世界中のお客様に親しんでいただいています。
そして今、ヤマハは、「音楽」には無限の価値と魅力があり、誰もがそれに気づく可能性があるという事実にたどり着いています。例えば音楽は、「音」として耳に聞こえるものですが、「空気の振動」として肌に伝わるものでもあります。「口の形」が音の形になるように、「楽器の形」で音の形も変わります。「たたく」ことでリズムを表現する方法もあれば、「揺れる」ことでリズムを表現することもできます。音楽は、勇気を奮い立たせ、楽しい気持ちを起こし、悲しい気持ちを癒したりと、常に人の感情と共にあり、人の思いに様々な影響を及ぼします。また、人々が共感し合うきっかけを作り、「一体感」を生み出します。

ヘレン・ケラーから教えられること。

こうした音楽の価値と魅力をひとつでも多く知りたい、伝えたいと考える音楽家たちがいます。一方で、耳に聴こえる音楽作品を超えて、大きな喜びや感動を体感できる人がいます。この事実は、目が見えない、耳が聞こえない、言葉が話せないことで知られるヘレン・ケラーが証明してくれていました。彼女は歌手の口にふれ、肌で音の振動を感じ、演奏家の思いを理解し、深く感動することができたのです。有名なテノール歌手、エンリコ・カルーソーとヘレン・ケラーの逸話が残っています。エンリコがヘレンのために歌ったとき、2人は感動のあまり涙を流したといいます。エンリコはこう語りました。「ヘレン・ケラーよ、わたしは今日、人生の中で一番よく歌うことができました」。ヘレン・ケラーは自ら音楽を楽しむだけでなく、音楽家にも大きな勇気と共感を与えたのです。音楽は聴覚や視覚からのみでなく、心と身体で感じることができる。このことは、わたしたちヤマハにも大きな力を与えてくれます。
実は、ヤマハとヘレン・ケラーにはある共通点があります。1887年、ヤマハを生んだ寅楠とオルガンとの出会いがあったこの年、ヘレン・ケラーにとっても大きな出会いがあったのです。生涯の教師であり友人となるアン・サリヴァンとの出会いです。ヘレンは当時7歳。この出会いがなければ、ヘレン・ケラーは音楽を楽しめなかったかもしれません。1887年という偶然の一致は、わたしたちヤマハにとって運命的な符号のように感じられてなりません。

音楽を あなたに、みんなに、誰にでも。

かつて寅楠は、音を音楽に変えるオルガンに衝撃を受けました。音の調和を判断する道具のひとつに「音叉」があります。ヤマハの社章には、その音叉が使われています。これはヤマハが、音を音楽に変えることをビジネスとして展開し、サービスを提供していることを表しています。人が音を音楽として楽しむとき、そこにヤマハは存在していたい。そしてこれからは、音楽の価値や魅力をコミュニケーションや社会環境に活かしていく取り組みを、新たに強化していきたいと思います。これは、わたしたちの企業目的である「感動を・ともに・創る」の具現化でもあります。
これまでのヤマハの活動は、ヤマハ単独ではなし得ませんでした。パートナー、スタッフ、そしてなによりプレイヤー、ユーザーの存在があって初めて成り立つものです。音楽は、社会に生きるみんなとともにあるべきもの。全ての人々がともに共生し、ともに共有しあえる世界が「理想の世界」と呼べるものならば、音楽が、そしてヤマハが果たせる役割は大きいと信じています。


3.これからのヤマハにできること

音楽の持つ価値を、最大限に引き出すこと。

多くの音楽プロフェッショナルたちは、音楽が持つあらゆる価値を発見することに情熱をそそいでいます。たった5分の演奏を沢山のお客様に届けるために、何年にも渡って準備するプロフェッショナルたち。彼らが音楽とともに真剣に過ごす日々を、より充実したものにするために、理想的な道具や環境を提供すること。ヤマハはこれまでも、そしてこれからも、永く愛用される道具づくり、環境づくりを通じて、プロフェッショナルたちの創造に貢献していきます。
一方、仲間同士で演奏しあったり、聴きあったりして音楽を楽しむ人たちにとっては、好きな場所で気兼ねなく音楽を楽しめることが重要です。そういう機会や道具があれば、彼らの楽しみは大きく広がり、お互いに教えあったりする新しい楽しみが生まれるかもしれません。また、お気に入りの曲やアーティストを聴いて楽しむ音楽ファンの人たちにとっては、ファン同士やプロの演奏家とつながりながら、お気に入りをもっと自分流に楽しめる「場」と「技術」が重要になるでしょう。ヤマハは今後、より一層音楽を身近なものにし、音楽ファンの方々により深い楽しみを味わっていただくために、音楽の持つ価値を最大限に引き出す努力を継続していきます。

音楽の持つ価値を、コミュニケ―ションに生かすこと。

音楽の持つ価値は、「音楽分野」にとどまりません。人と人とが話をする。手話やしぐさで意思を通じ合う。間の取り方や、ちょっとした顔つきで、言葉以上にその人の気持ちまでわかる。このコミュニケーションの本質は、まさに音楽そのものといえるでしょう。時間や空間を超えて、言語や人種を超えて、人と人との気持ちのセッションができること。例えば音楽の技術は、遠くの会議室同士をつないで、あたかも同じ場所にいるかのような臨場感で信頼を伝え、円滑な意思決定を促すことができます。また、音を1つの方向に集中させる技術は、特定の人に直接ささやきかけるような特別な伝え方を生むかもしれません。さらに、誰かが叩いたリズムを遠くにいる誰かの楽器に伝え、合奏を可能にする技術は、言語や文字情報の伝達とは違った意思疎通の一体感を生むかもしれません。人々のコミュニケーションを豊かにするために、ヤマハは新しい技術や製品の開発に取り組んでいきます。

音楽の持つ価値を、社会環境に生かすこと。

しばらくたった後で、なんだか過ごしやすかったなあと気づく時があります。五感に刺激的に訴えかけなくても、穏やかに感じていられる心地よさ。ヤマハは、音楽をつくるための技術が、こうした心地よさをつくるためにも活用できることに気づいています。多くの人がいる場所で、人の声を気にせず過ごせたら。自分の出している音が人の迷惑になっているかどうか判断できたら。例えば、より良い音響を追求するために生まれた技術は、人の話し声を部屋の外に出さない技術に転用することができます。音の振動を電気信号に変えれば、音の大きさを耳ではなく目でわかるようにすることができます。その価値を必要とする人、しない人、気づく人、気づかない人が、無理なく共存できる環境。わたしたちの社会環境に、音楽技術を活かしていくことも、これからのヤマハの重要な取り組みです。