[メインビジュアル] Ellen Kraussさん

2023年6月13日

ブランドストーリー​

Ellen Krauss

シンガー・ソングライター

21世紀のサッフォーと呼ばれて

文:Leolina Silkeberg

2000年生まれのEllen Kraussは、新世代のクィア・アーティストの代表格です。デビューシングル『The One I Love』でブレイクし、Spotifyでストリーム再生2500万回以上を記録しました。レズビアンのシンガー・ソングライターであることを公言しているEllenはこのインタビューで、過去、現在、そしてクィアであることが彼女の音楽にどのような影響を与えたかについて回想し、語ってくれました。

Ellenが最初に音楽が好きだと気づいたのは幼稚園のころ、ギターと出会った時でした。女性の先生に励ましてもらいながら、家で家族のためによく演奏を披露していたそうです。2007年に家族でヨハネスブルグに移住すると、ギターを弾くことが彼女の心のよりどころとなりました。そして、音楽を通して自分のジェンダー表現を探求し始めました。しかし、2010年に両親が離婚したのをきっかけに、ギターの演奏を中断してしまいました。10代を通して、Ellenが熱中したのは、地元のサッカーチームでプレーすることでした。音楽への思いが再燃したのは2013年、父親の新しい家族を訪ねた際のこと。その家族は全員音楽好きだったのです。

「その田舎の家には、古い高級アコースティック・ギター、ヤマハのドレッドノートがありました。他人の楽器を演奏するのは気が引けましたが、彼(父の義父)は気さくな人で、喜んで一緒に演奏してくれました。なんだか不思議な気がして、私はポーチに座り、父の新しい義父と合奏しました。そういった場所に出かけ、自然を身近に感じ、一人思いを巡らし、音楽を奏でる。まさに絶好の組み合わせでした。⁠ヤマハのドレッドノートは私が手に取るのを待っていて、あの瞬間を思い起こさせてくれたのです」

[写真] Ellen Kraussさん

13歳の時、Ellenは自分のセクシュアリティに気づきました。サッカーチームの女の子に恋したのです。報われない恋に心を痛めながらも、家族の支えのおかげでクィアであることをカミングアウトし、オープンに生きることができました。ストックホルム郊外の小さな街でただ一人のクィアとして、彼女は音楽と勉学、そして薬局での仕事にエネルギーを注ぎました。Ellenは16歳になるまでに、SoundCloudに2つの曲をすでに発表していました。とある日、レジで仕事をしていた彼女に、思いがけず古くからの家族の友人が声をかけてきました。

「彼は私のところに来て、『君の歌を聴いたよ。君のお母さんがFacebookでシェアしてたよ』と言ったのです。私は、『あらあら』と思いました。でも、彼は本当にその曲が好きだと言い、Christian Walzを知っている、以前彼の継娘のサッカー・コーチだった、というのです。私はその時すでに、Christianが素晴らしいプロデューサーでありアーティストであることを知っていましたから、レジで彼の連絡先を聞いて、すぐにメッセージを送りました。その時持っていた曲を全部添付してね。数週間後、Christianから返信があり、彼のスタジオで会いたい、というのです。もうパニックになりそうでしたが、返信してミーティングに出かけました」

スタジオでのミーティングは、Ellenにとって緊張の連続でした。彼女はSoundCloudで公開していた曲『New York』を、有名プロデューサーChristian Walzと彼の同僚、Johan “Jones” Wetterbergの前で演奏しました。2人ともその曲を気に入り、すぐにコラボレーションが決定しました。ちょうどラッキーなタイミングで、2人は当時手持ちのプロジェクトを売り込むためにロサンゼルスに出発しようとしていたところでした。そして、Ellen Kraussが彼らのポートフォリオに加わったのです。

「16歳で私と母は弾丸ツアーのために取るものもとりあえずロサンゼルスに飛びました。ロサンゼルスからニューヨークまで10日間で13のミーティング。摩天楼の上階へ上って行き、スーツを着た権力のある年配の方々に面会したのです。最終的に、私は素晴らしいインディーズレコードの契約を得ることができました」

契約アーティストにはなったものの、Ellenはスウェーデンで高校の授業に出席しなければなりませんでした。が、何度か欠席して曲を書きました。まだ高校生なのにアメリカのレコード会社と契約するなんてすごすぎると思ったのです。それでも、2019年に19歳でリリースしたファーストシングル『The One I Love』で、彼女の旅は一巡しました。

「私はこの曲とともにひとつの旅を経験しました。好きになって、嫌いになって、また好きになった。私はこの曲と人生を共にできるし、この曲を誇りに思うことができます。でも、プロデューサーに見せるのがどんなに不安だったのか覚えています。もし彼らにこの曲はダメだと思われたなら、私個人に与えられた評価として受け止めよう。なぜなら、それはとてもパーソナルなものだったからです。結局、プロデューサーたちに曲を聴いてもらったら、すぐに『レコーディングしよう、とても美しい』と言ってくれました。歌詞は一言一句変わっていません。最初に演奏した時に私が歌った歌詞のまま、レコーディングまでいきました」

[写真] Ellen Kraussさん

気鋭の注目アーティストとしてデビューしますが、同時に、Ellenのシングルリリースは彼女がレズビアンであることをカミングアウトすることにもなります。歌詞の内容に感じていた不安は、幼いころからEllenの中に染み込んだ羞恥心を克服するための最後の一歩でした。それでも、彼女が真実を語った時、Ellenの人生で大切な人たちは、とにかく彼女を支えてくれたのです。不幸なことですが、LGBTQ+コミュニティの多くのメンバーたちは、いまだに身近な人たちから同じような種類の受け入れを得られていません。『The One I Love』という曲の中の「her」という言葉は、Ellenを計り知れない不安に陥れました。

「私が愛する人について歌ってもいいですか?
もしMotherというものを認めない人々がいなければ
私は彼女をとても愛しています
だって彼女はすべてを流してくれる」

女性の声のアーティストが女性に向けてロマンチックな歌を歌うことは、多くの人が違和感をもちます。それは、伝統的に男性がすることだと思われているからです。しかし、これこそがEllenのような新興のクィア世代のアーティストが重要である理由なのです。彼らはクィアであることを堂々と表現し、音楽を通して、世界に対する一般の考え方に挑戦しているのです。

「私はレズビアン・アーティストとして分類されてしまうことは複雑でした。しかし、今では誇りに思っています。私が恵まれた環境で育ったのは事実ですし、レズビアンであることが『私らしさ』だと感じています。そう見られるのが嫌であったとしてもね。しかし、重要なのは、私は巨人の頭の上に立っていることなんです。または、私が私らしく生きられるように巨人に石を投げ、床を掃除してくれた人たちの肩の上に立っていると言うべきかもしれません。私たちクィアは、みんな共感し合えます。プライドパレードで歩いている時、私たちは皆、何かを共有しています。皆それぞれに物語があることを知ると、感動するし、ちょっと憂鬱な気分にもなります」

オープンリー・クィア・アーティストという立場を明らかにすることはEllenにとって大きな力となりましたが、同時に彼女の音楽はクィア・コミュニティとの関わりをどうするのかという責任感も伴います。
「私がいつも心配してきたのは、レズビアン・アーティストをよい宣伝文句にしていると思われることでした。しかし、率直に言って、一番大切なことは、自分の芸術に対して正しい意図を持つことです。だから、プロデューサーや配給会社にはそれを確実にする大きな責任があるのです。残念なことですが、このインタビューのような文脈で見せられると、この種の批判にさらされるのは、大抵アーティストになります。私としては、早くからカミングアウトして、その重要な事実を自分が創造する音楽で表現しただけ。それで罰せられるなんてばかげています。というか、私が音楽を聴く時には、そんな聴き方はしません。クィア・アーティストを積極的に探したりしないで、ただ音楽を聴くだけです。もし気に入って、後でそのアーティストがレズビアンだと知ったら、『それは素晴らしい』と思って、チケットを買うかもしれません。アーティストにすれば、私のコミットメントのかたちがそのように変わるだけです。でも、それは私が音楽を消費する方法の一面にすぎません。私のセクシュアリティゆえに私を見つけたファンがいるかどうかはわかりませんが、もしそうなら、私に力を与えてくれます。私の音楽を通して彼らをサポートできていると感じられますから」

[写真] Ellen Kraussさん

Ellenの音楽は明確に政治的というわけではありませんが、自分自身に関するアートの創造は、共感を寄せる人々にとってパワフルで変容的な経験となり得るものです。アコースティック・ギターと考え抜かれた歌詞というシンガー・ソングライターの典型的なスタイルですが、レズビアンである彼女は、自分のアートにもう1枚のレイヤーを加えます。言葉のあり方を探求し、ヘテロ・セクシュアリティとクィア・セクシュアリティを比較することで、Ellenは彼女独自の視点を表現することができるのです。

「誰が私にインスピレーションを与え続けたのだろうと考えると、私は父のレコードだったように思うのです。まるでトラックの荷台に積まれたような、父の生活の一部だったレコード。その上に私は片足を乗せるように親しみ、育ち、立ち位置を決めていったのです。Bruce Springsteen、Dolly Parton、Emmylou Harris、そしてDire Straits。ギターを弾きながら力強い声で歌い上げる年配の男女のアーティストたち。でも、Michael Jackson、Amy Winehouse、Britney Spears、Rihannaといった大物のポップスも聴いていましたよ。私はインディーズよりも、子どもたちがガソリンスタンド(訳注:欧米ではコンビニと一体となっていることが多い)で買うようなヒット曲が好きなんです。でも、Bruce SpringsteenやJohn Mayerを好んで聴いていましたし、彼らは男性としてヘテロな視点から歌っているけれど、自分もこんなふうに女の子について歌いたいと思っていました。女の子のことを歌うには、いつも男性のように見せかける必要がありましたが、今は女性である自分の歌として歌えます」

Ellen Kraussは、メインストリームに衝撃をあたえる新世代のクィア・アーティストを代表しており、自分たちの真実を恐れることなく表現することで、数々のブームを起こしています。プライド月間を祝うにあたり、彼女の感動的なストーリーは、音楽業界における結束と表現の重要性を思い起こさせるものとなるでしょう。オープンリー・クィア新世代のアーティストたちが最前線に立つ時、彼らはLGBTQ+の体験にプラットフォームを提供し、多様なアイデンティティの受容と理解を促進します。Ellenのような若いアーティストを励まし支援することは、より包括的で支援的な社会を育むために極めて重要なことでしょう。

文:Leolina Silkeberg

Leolina Silkebergは、スウェーデンのストックホルムを拠点とするジャーナリスト、プロデューサー、脚本家で、作品を通じLGBTQ+コミュニティの体験に焦点を当てることに注力しています。Onnox AgencyのCEOであり、スウェーデンの市民社会におけるさまざまなトランスジェンダーの権利団体の議長も務めています。
Leolinaは彼女の活動を通じ、スウェーデンのメディアにおける多様性、公平性、インクルージョンを促進するために、強いコミットメントを示しています。

写真:Liv Lindqvist

Explore More Stories