[ サムネイル ] 空間に新たな彩りを #2

空間に新たな彩りを

#2 音響設計技術で、会場を「奏でる」

2024年3月27日

コンサートやライブに足を運ぶことはあっても、その舞台裏を知る人は多くないだろう。アーティストが表現した音を会場の隅々まで届けるためには高度な音響設計が欠かせない。ヤマハは建物の内装仕様や構造を設計する「建築音響」、スピーカーなどの設備を調整する「電気音響」など、さまざまな分野で音響設計に関する研究を重ねてきた。

2021年には、従来の技術を統合・改良するかたちでイマーシブオーディオソリューション「Active Field Control(AFC)」が誕生。空間の響きを最適化する「AFC Enhance」と、音の定位を自在にコントロールする「AFC Image」から構成されるAFCは、空間そのものを楽器のように奏で、新たな音楽表現を可能にする、まさに常識破りの技術である。

自由に音空間を操る技術

ヤマハが音響設計の研究を始めたのは1969年のこと。演奏者と聴衆、空間の理想的な関係性を見つけ出すために、全国のホールや劇場に対し音響設計コンサルティング事業を開始したのだ。

当時の課題は、あらゆる用途に適した音空間をつくりあげることだった。「例えば教会だと、礼拝における合唱と説教の時間とでは求められる音響空間が異なります。合唱中は音楽を豊かに響かせたいけれど、説教の時間には言葉が聞き取りやすいように響きを抑えたい。同じ場所で複数の響きを実現する必要があったのです」。現在、AFC事業に携わっている空間音響グループの大木大夢はこんなふうに説明する。

[ サムネイル ] ヤマハ株式会社 プロフェッショナルソリューション事業部 大木大夢
ヤマハ株式会社 プロフェッショナルソリューション事業部 大木大夢

音に響きを加えるために、通常は演奏音にリバーブをかけるが、それでは音の印象が変わってしまう。ヤマハが1985年に発表した「Assisted Acoustics」は、楽器や歌声の自然な聴こえ方を保ちながら、会場全体の残響感をコントロールする技術だ。その後も数々の技術改良を重ねて進化させた結果が、幅広い用途に適した音響空間を提供する現在のAFC Enhanceである。

一方、AFC Imageはヤマハが長年、行ってきた立体音響技術「ViReal(バイリアル)」の研究から誕生した。AFC Enhanceが音空間の「響き」を制御するのに対し、AFC Imageでは音の「位置」や「動き」を立体的に操作する。楽器の音がスピーカーからではなく演奏者の手元から聞こえてくるようにすることも、音が移動しているように演出することも可能。これを最大128のオブジェクト※に対して同時に行うことで、臨場感あふれる音響体験を提供するのだ。

  • オブジェクト:仮想空間内に配置された音をかたちづくる要素

新技術の価値を探る旅

二つのモデルを統合し2021年にリリースしたAFCだが、開発当初は明確な活用方法は描けていなかった。試行錯誤する中、指揮者・西本智実さんのクラシックコンサートで実験的にAFCを活用してもらったのが転機になった。大木は言う。「当時はコロナ禍で、コンサートやライブに人が集う意味そのものが問われていました。その問いに対する明確な解として西本さんは『空間をつなぐ』というコンセプトを示したのですが、それが空間を制御するAFCと相性がよかったのです」。

合唱やオーケストラが一緒に演奏することができない状況下で、2021年10月に開催された公演『マリナートが森になる』では、メインの大ホールと、AFCで大ホールの音場を再現した会場内二カ所をリアルタイムにつなぎ、ひとつの音空間をつくりあげた。さらに、公演全体を物語として演出。曲ごとに音の響きや音像移動を変化させることで、季節の移り変わりを表現し、さまざまな時代や場所を旅しているかのような体験を提供した。

この公演が、誕生して間もないAFCの可能性を探る大きなヒントとなった。「どの機能をどう活用すれば、曲目に適した響きを実現できるのか。西本さんから多くのアイデアや助言をいただき、AFCの活用の道筋を描くことができました」(大木)。

大木は幼少期からさまざまな楽器に触れながら育った。エレクトーン、コントラバス、チェロ。発表会でホールの舞台に立った時には、その独特な響きにこころを動かされ、子どもながらに「こんな特別な空間を自分でつくってみたい」と思った。この原体験は物理学への関心と重なり、大学では音響工学を専攻した。そして、在学中に参加したヤマハのインターンシップで「空間音響」という仕事に出会う。これこそ、自分がやりたいことだと感じた大木は、導かれるかのようにヤマハに入社。現在は、音響設計業務とAFC関連事業の両方に携わっている。

音空間という新たな楽器

西本さんの公演でAFC活用の糸口をつかんだ大木のチームは、さらなる可能性を追求するため、2022年にAFC弦楽四重奏実験会を行った。「作曲家のオム・シヒョンさんに、AFCの使用を前提に曲を書いてもらいました。これは、AFCをひとつの楽器と捉えて作品に取り入れた最初の試みです」(大木)。AFC Enhanceによる音響演出と、AFC Imageによる音像定位の操作がかけ合わさり、音楽表現はより一層豊かになった。

二つの独創的なコンサートを担当することで、大木自身も、音楽における空間の重要性を再確認した。これまでは、どんな会場で演奏するかによって音響条件が決まった。しかし、AFCで音空間そのものを操作できるとなると、物理的な制限は取り払われ、表現の自由度は一気に拡大する。

実際、AFCの活用シーンは変化してきている。「リリース当初は音空間を整えて、より自然で違和感のない響きにする“受動的”な使い方が主でしたが、最近では響きのパターンが発掘されたことによって、“創造的”にAFCを使用する事例が増えてきたのです」(大木)。

未来の音楽表現の扉を開ける

歴史をさかのぼってみると、空間が音楽の発展に寄与した例を数多く見つけることができる。「教会ならではの響きがあったからこそ教会音楽が生まれ、後のクラシック音楽へと発展しました。逆に、日本の建築がヨーロッパのような石造り中心であったなら、雅楽は演奏されなかったかもしれません」(大木)。

音空間そのものを制御するAFCを作曲家や音楽クリエーター、演奏者がうまく使えば、これまでにないかたちの音楽が生まれるかもしれない。AFCは音楽の歴史にひとつの転換点をもたらす可能性を秘めている。

そのためにはまず、サウンドエンジニアや作曲家、演出家の手の届く場所にAFCを行き渡らせなければならない。AFC Imageは発表されてからまだ日も浅く、大木ら開発者も気づいていない活用方法があるはずだ。「技術者だけでは未来は描けません。作曲家や音楽家の方が、むしろ本質に気づくことが多いのです」。だからこそ、より多くの人にAFCの価値を知ってもらい、使ってもらうことが必要なのだ。

同時に、技術を洗練させてクリエーターの表現をサポートすることも重要だと大木は語る。「音空間の制御といっても、現在は音の響きや空間印象、音像移動しかコントロールできません。あらゆる要素を操作できるようにすることがAFCの究極の目標です」。クリエーターの創造性と、技術者によるツールの深化が相乗効果を生んだ時、音楽の歴史はきっと変わる。

音響空間をつくり出し、表現の新たな可能性を切り開くAFC。一方、前回紹介したステーションピアノは音楽の力で駅という空間を生まれ変わらせた。一見、何の関連性もない二つの取り組みだが、「空間×音」のかけ算で人々の音楽体験を豊かにする点は共通している。次回はいよいよ両者の「Key」となる想いに迫ります。お楽しみに。

(取材:2023年12月)

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大木大夢 HIROMU OHGI

ヤマハ株式会社 プロフェッショナルソリューション事業部 空間音響グループ所属。幼少期に音楽ホールの舞台に立った際、その独特な響きに魅了される。その後、物理学に興味を持ち、大学では音響工学を専攻。ヤマハのインターンシップで空間音響グループの仕事を知り、入社を決めた。現在も音響設計業務とAFC関連事業に携わっている。

※所属は取材当時のもの

参考:

空間に新たな彩りを(全3回)

#1 駅を「過ごしやすい場所」に変える一台のピアノ

#2 音響設計技術で、会場を「奏でる」

#3 空間を通じて、音を通じて、こころをひとつに