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ライター:山崎│配信日:2012年12月6日│配信テーマ:洋楽  

トニー・ハドリー・インタビュー / スパンダー・バレエのシンガーが歩んだポップとロックの道


 1980年代を席巻したUKポップ・バンド、スパンダー・バレエのシンガー、トニー・ハドリーが2012年11月、来日公演を行った。東京・大阪のビルボードライブで行われたライヴで、トニーは、スパンダーの「トゥルー」「ゴールド」といったグレイテスト・ヒッツから、クイーン「愛にすべてを」、キラーズ「サムボディ・トールド・ミー」など新旧カヴァー曲、かつてライバルといわれたデュラン・デュランの「リオ」などを熱唱。80年代を彼と共に歩んだオールド・ファンから、最近彼のことを知った十代のリスナーまで、誰もが笑顔を浮かべて帰途につく、楽しいステージを披露した。

 東京2日公演の初日を終えて、トニーはインタビューに応じてくれた。

 1984年11月以来となる、28年ぶりの来日。何故これほど間があいてしまったか、彼自身も判らないという。

「いつ日本に行ってもおかしくなかったんだけどね」と笑う彼だが、その間、休むことなく、世界中で歌ってきた。その結果、彼はヴォーカリストとして成長した姿を日本の観衆に見せることが出来た。

「25歳の頃だったら、まだ『愛にすべてを』は歌う技術はなかっただろう。でも、僕はずっと歌ってきた。より完成されたシンガーとして日本を訪れることが出来て、ハッピーだよ」

 デビュー当時からライバル視されてきたデュランの「リオ」を歌うことについて「好きな曲だし、まったく抵抗はなかった」と語るトニーは、両バンドの音楽性の相違について、こう分析する。

「デュランはデビューから一貫して、ホワイト・ダンス・ロック・バンドだったと思う。スパンダーは幾つかの異なったスタイルを取り入れて変化してきたという点で、彼らと一線を画していた」

 ちなみにトニーは、日本に向かう飛行機内でデュランのジョン・テイラーの自伝『In The Pleasure Groove』を読んでいたそうだ。

 彼が語るスパンダーの音楽性の変遷は、時代の移り変わりを偲ばせて興味深い。

「1970年代後半にスクール・バンドとして結成した当時はただのポップ・バンドだったけど、ヤマハCS10シンセサイザーを手に入れたことで、エレクトロニック・ミュージックに接近していったんだ。クラフトワークやラ・デュッセルドルフ、デペッシュ・モードやウルトラヴォックスの『システムズ・オブ・ロマンス』に触発されて、デビュー・シングル『早い話が...』はエレクトロニックなニュー・ウェイヴ色が強かった」

 ただ、その後、メイン・ソングライターであるゲイリー・ケンプ(ギター)がアメリカ黒人音楽に傾倒していたことで、彼らは「チャントNo.1」や「ペイント・ミー・ダウン」などのホワイト・ファンク、「トゥルー」に代表されるソウル・バラードを発表、その名を世界に轟かす。

「トゥルー」の一節「一晩中マーヴィンを聴いていた」は、多くの若いリスナーにマーヴィン・ゲイを聴かせるきっかけとなったが、この歌詞を書いたのはゲイリーであり、トニーはロックを愛好していた。

「デヴィッド・ボウイやTレックス、ビーバップ・デラックスが好きだったんだ。十代後半になってファッションを意識するようになって、”ビリーズ”や”ブリッツ”などのクラブにも出入りするようになったけど、実際に聴いていたのはクラッシュやヴァイブレーターズ、スージー&ザ・バンシーズ...パンクは刺激的だった。ハードコアのG.B.H.のライヴを見に行ったこともある。飛び跳ねていたら、天井に頭がぶつかりそうになった(笑)」

 トニーがハードコアのライヴで暴れている姿を想像するのは容易ではないが、当時は現在ほど音楽ジャンルの壁は高くなかったようだ。

「ミュージシャン同士の交流もあったし、ファンも分け隔てなく音楽を聴いていた。僕はアイアン・メイデンやサクソン、マイケル・シェンカーとも友達だった。メイデンのライヴを見に行ったとき、彼らのファンに取り囲まれたんだ。袋叩きにされるかと思ったら、『スパンダーのファンです!』と握手を求められた」

 日本公演で、その力強いヴォーカルを披露したトニーだが、その圧倒的な声量は、193センチの身長と、首の太さも貢献しているだろう。彼のご両親も背が高く、声も大きかったそうだ。

「健康に生まれて、両親には感謝しているよ。歌には体力が必要だ。ジムに通ったり走ったりしているし、ボクシングでスパーリングもする。首が太いのは、生まれつきだよ。ブリッジのおかげではない(苦笑)」

 2009年から2010年にかけて行われたスパンダー・バレエの再結成ツアーでは、日本公演は行われなかった。現時点では、スパンダーとしての予定はまったく白紙である。

「1990年にバンドが解散した後、権利を巡って裁判になったりして、もうスパンダーに未来はないと思っていたんだ。でも、スパンダーのドラマーで、現在は僕のバンドの一員のジョン・キーブルが仲介役になって、僕とゲイリーを同じテーブルにつかせたんだ。スパンダーとしてのツアーは楽しかったし、あれからゲイリーやマーティン(ケンプ、スパンダーのベーシスト)との連絡を取り合うようになったから、いずれまた一緒にやる可能性もある。ただ、僕はスパンダーにいた時期よりずっと長くソロでやってきたし、自分自身の音楽を大事にしたい気持ちもある。スパンダーになるか、自分のソロになるか判らないけど、また近いうちに日本に歌いに来るよ」

●Special thanks: ビルボードライブ

2012年12月 6日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:山崎智之

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