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『楽器に、文化に、愛着を』

#3 音楽を通して受け継がれていく愛着

2023年5月31日

楽器を使い続けるうちに、文化に触れ続けるうちに、それが自分にとってかけがえのない宝物になる。中南米で楽器のメンテナンスに関する知識と技術を伝える「AMIGO Project」と、多様なインドの伝統音楽の音色を奏でるポータブルキーボード(PK)のローカルモデル「PSR-Iシリーズ」。どちらも、ユーザーが自分の楽器を、自国の文化を、ますます好きになるような「愛着」を大切にし、敬い続けている。愛着は時間をかけ、手をかけていくうちに、世代を超えて受け継がれていくものだ。そのきっかけを生み出すことこそが、AMIGO Projectとインドモデルという二つのストーリーに共通する「Key」である。

持ち続けたい、使い続けたいという想い

長く使い続ける楽器には、自分が使うからこそにじみ出る個性や、その楽器とともに過ごした思い出が宿るものだ。AMIGO Projectでは、楽器メンテナンスの知識と技術を伝えながら、中南米の子どもたちが長く楽器を使い続けるための後押しを行っている。それは、子どもたちの心に音楽への愛着を育んでいくプロセスでもある。

「やはり愛着を感じるものは、長く持ち続けたいと思いますよね」。こう話すのは、B&O事業部でAMIGO Projectを担当する樋口俊亮だ。高校時代からクラリネットを演奏してきた彼は、当時のクラリネットをいまでもメンテナンスしながら使い続けている。「クラリネットは木でできているので、同じものは二つとしてありません。キャラクターが違う何千本という楽器の中で、自分はこのクラリネットに出会うことができた。そういう意味では、我が子のような思いで楽器と接しているところがありますね」(樋口)。

[ サムネイル ] B&O事業部 B&Oマーケティング&セールスグループ 樋口俊亮
B&O事業部 B&Oマーケティング&セールスグループ 樋口俊亮

現在、AMIGO Projectを通じてメンテナンスの重要性を伝えている樋口は、自身も高校時代に楽器のメンテナンスの大切さを痛感したことがある。練習後の水分の抜き取りが足りなかったのか、ある日、クラリネットにひびが入ってしまった。不安な気持ちで楽器店に持っていくと、技術者が手際よく修理し、元通りに直してくれた。愛用のクラリネットが手元に戻ってきた時には、「ほんとうにホッとした」という。それ以来、樋口は以前より丁寧に楽器をメンテナンスするようになった。

心から安心できる音楽を届ける

一方のインドモデルは多様な伝統音楽を演奏できる機能を通して、もともと音楽好きなインドの人たちにより一層、自国の音楽を楽しんでもらおうと開発された製品だ。現在では、誰もがストリーミングサービスで世界中の音楽にアクセスできるようになったが、それでも、「人が最も親しみを感じるのはやはり自国の音楽だと思います」。インドモデルの商品企画を担当する山下はこんなふうに考えている。

「インドの人々も聴いたことのない言語のボーカルより、ヒンディー語やタミル語のボーカルのほうが安心する。また、インド音楽には西洋音楽の楽器では再現できない特徴的なリズムもあります。そういう身近な音楽を思う存分楽しめることが、現地の人にインドモデルが喜ばれている大きな理由だと思っています」(山下)

[ サムネイル ] 電子楽器事業部 電子楽器戦略企画グループ エントリーキーボード商品企画担当 山下 司
電子楽器事業部 電子楽器戦略企画グループ エントリーキーボード商品企画担当 山下 司

愛着は世代を超える

楽器や文化に抱く愛着は、やがて世代を超えて受け継がれていく。「先代が大切にしたものだから、次の世代へ大切にバトンをつなぎたい」。こんな想いが人の心のうちにあるのかもしれない。

AMIGO Projectが行われているブラジルでは、楽器は代々受け継がれることが多い。「『この楽器は祖父から父へ、そして僕へと受け継がれた』というエピソードや、『自分の楽器を娘にも使ってもらいたい』という想いを何度も耳にしました」と、ブラジルの現地販売法人「Yamaha Musical do Brasil(YMDB)」でAMIGO Projectを担当するイターロ・バルボは語る。

また、ブラジルでは子どもが親と同じ職業を志すケースも多いという。実際、YMDBの技術担当ルシアノ・アルベスの父は、音楽家で技術者だった。ルシアノには16歳の娘がいるが、彼は修理工房に娘を連れてきて、楽器の修理について教えているという。だから、「ルシアノの娘さんも将来、技術者になるかもしれないですね」(バルボ)。

[ サムネイル ] Yamaha Musical do Brasil(YMDB)イターロ・バルボ
Yamaha Musical do Brasil(YMDB)イターロ・バルボ

愛着を次世代に受け継ぐことへの共感は、インドモデルPSR-I500の中にも息づいている。山下らはインドの音楽文化をリスペクトして、インドモデルをデザインしたのである。音源のサンプリングでは、現地で受け継がれている音楽を取り入れることにこだわった。メソッド化されている西洋音楽と異なり、インドでは口承で伝わる音楽がいまも存在するという。そんな伝統音楽をキーボードで引き継いでいくために、山下ら開発チームはインド各地を訪れた。「伝統音楽には私たちのような外から来た人間がパッと見て理解できるような楽典がなく、演奏方法もわかりません。なので、実際に現地の音楽家に目の前で弾いてもらい、その音をサンプリングして楽器に搭載したのです」(山下)。

いくつもの対話から聴こえてくる音色

このように、言葉も文化も異なる海外で、愛着という目に見えないものに寄り添うためにはコミュニケーションが欠かせない。

樋口は、スペイン語とポルトガル語が公用語の中南米諸国で、「言葉の壁」ができてしまうとプロジェクトが進まなくなることを嫌というほど味わった。パナマ駐在時代のことだ。

「いちばん大切なのはコミュニケーション、つまりお互いを知るということです。自分の考えはあくまでひとつのアイデアであって、ほかにもいろいろな考えがあります。周りの人たちの想いや考えを理解しない限り、現地の人にとってほんとうに必要なものは何か、最後までわからないはずなのです。だから、人に会って話をすることをいまも大切にしています」(樋口)

山下も、日本人である自分が異国の文化に関して判断に迷った時には、現地メンバーとの会話の中でヒントを探ったと振り返る。

「現地のメンバーと話し合っても、『自分はこれがいい』『いや、こっちがいい』とそれぞれ個人の好みで意見が分かれてしまうこともありました。私は製品の企画担当者なので、最終的なジャッジをしなくてはならない。わからない時には、何度も聞いてみるしかないんです。『シタールの音色を2種つくってみたが、どちらがいいと思うか?』と問われ、自分にはわからなかったら、逆にメンバーに『あなたはどちらがいいと思う?』と聞き返す。その答えにもまだメンバーの好みが反映されている可能性をふまえて、相手の真意を見極めることが商品をプロデュースする上では重要です。そんなふうに問いを重ねて試行錯誤しながら、インドモデルと銘打つのにふさわしい方向性を見つけていきました」(山下)

樋口や山下を支えたのは、彼らが現地の人たちと紡いできた膨大な量のコミュニケーションである。彼らは、愛着が育っていくには、膨大な時間と手間がかかることを知っている。

愛着とはほかの何ものでもない「何か」を特別に思うことだ。それは、何千本というクラリネットのうちのたった1本かもしれないし、多様な音を奏でる伝統音楽の1フレーズかもしれない。誰かの胸を震わせ、「これがなくちゃ」と思わせる――そんな愛着を生み出せるとしたら、なんと素晴らしいことだろうか。

だからこそ、樋口とバルボと山下は今日も人々の声に向き合っているのだ。インドの人々に「どうしてこの音色がいいと思う?」と聞き、彼ら彼女らの真意に耳をすませ、中南米の子どもたちには「手をかけることで楽器が特別な存在になる」ことを伝え続ける。愛着という目に見えないものが、人々の暮らしを鮮やかに彩ってくれると信じて、真摯に、愚直に、ひたむきに、目の前の人々とコミュニケーションを紡ぎ続けている。

(取材:2023年3月)

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『楽器に、文化に、愛着を』(全3回)

#1 「楽器と心のメンテナンス」で中南米の音楽文化を育む

#2 人口が増える国で、音楽の喜びを増やす

#3 音楽を通して受け継がれていく愛着