研究者紹介:前澤 陽
| 所属 | 研究開発統括部 先進技術開発部 音楽情報G |
|---|---|
| 業務内容 | 音楽情報処理技術の研究開発 |
| 学生時代の専攻 | 知能情報学 |
| 入社年度 | 2011年度 |
現在の仕事内容
音楽情報処理技術の研究開発を行っています。特に、人間の演奏者と一緒に盛り上げてくれるような「AI合奏技術」などの技術に取り組んでいます。目指しているのは、楽器や音楽にそれほど慣れ親しんでいない人に対して、AIなどの技術によって演奏能力をサポートし、より多くの人に楽器に親しんでもらうことです。
また、現在は研究施設「MINA Lab(ミナラボ)」の所長として、これまでとは異なる研究アプローチにも挑戦しています。実証実験を通じて得られるデータを活用し、より実用的で価値の高い技術開発を進めています。研究開発では、新しい技術を生み出すだけでなく、それを実際にお客さまに届け、音楽の楽しさを広げることが重要だと考えています。
物理現象をソフトウェアで再現できる面白さ
私が音楽情報処理の世界に足を踏み入れたきっかけは、高校時代に出会った「Max」というソフトウェアでした。音楽のアルゴリズムを簡単に作れるこのツールを通じて、「フーリエ変換」という数学的な手法で音の高さが分析できることを知ったんです。物理現象をソフトウェアでモデル化できることに驚き、音のアルゴリズムに夢中になりました。
元々、幼い頃からバイオリンや作曲をやっていて、音楽は身近な存在。でも、テクノロジーへの興味も同じくらい強かったんです。大学では情報系・電気系を専攻し、大学院で音楽情報処理を本格的に研究することになりました。
就職活動では、博士課程への進学も考えましたが、ヤマハのサイレントバイオリンをはじめとする、アコースティックとデジタルを掛け合わせた象徴的な製品群に魅力を感じ、入社を決めました。
「一人で楽器を弾く」孤独感を解決したい
ヤマハ入社後は、電子楽器向けの技術開発を担当していましたが、数年たった頃から、私の関心は「演奏」そのものに向かっていきました。きっかけは、とても個人的な理由です。転勤族の家庭で育った私は、室内楽の仲間を見つけるのに苦労し、バイオリンを一人で練習することの孤独感を切実に感じていました。
「自分のバイオリンの演奏に合わせて伴奏してくれるエンジンがあったら」――そんな発想から、入社2〜3年目の頃に演奏に合わせて伴奏するプロトタイプを2日間で作成。グループリーダーの承認を得て、2013年から本格的に演奏に関する研究を始めました。
この研究が大きく発展したのは、2015年のこと。東京藝術大学の新井鷗子特任教授(当時/現・客員教授)から「特別支援学校の高校生たちにピアノを弾いてもらいたい」と相談をいただき、車椅子でもペダルが使えるよう、演奏に合わせて自動的にペダルを踏む装置を開発しました。これが“だれでもシリーズ”の始まりです。
「だれでもピアノ」から「だれでも第九」へ
開発した「だれでもピアノ」は、一本指でも何かしらメロディーを弾くと、伴奏とペダルが自動で追従するシステム。それをさらに発展させた「だれでも第九」では、障がいのある3名の方がピアニストとしてステージに上がり、オーケストラや合唱団とともにベートーヴェンの『第九』を演奏するコンサートを成功させました。
合奏の楽しさは、一言で表現するなら“言語を使わない対話”だと思います。音楽を通じて相手の気持ちを感じ取り、自分の気持ちを伝える。楽器の価値は、楽器そのものに内在するのではなく、それを通じて生まれるコミュニティに内在するのかもしれません。だからこそ、より多くの人が同じ土俵で楽器を楽しめるような技術開発に取り組んでいます。
MINA Labから広げる「現場起点」の研究アプローチ
現在、私が所長を務めるMINA Labは、2024年11月に横浜みなとみらいに開設された、ヤマハの新しい研究拠点です。従来の「研究成果がまとまってから展示する」という方法から、「こまめに実証実験を行い、お客さまからのフィードバックを研究サイクルに組み込む」アプローチに転換しています。
1階の店舗スペースには「だれでもピアノ」を設置し、お客様の演奏体験からデータを収集。どういう属性の人が、どんな曲を選ぶのか、満足度はどの程度なのかを統計的に分析できるようになりました。さらに実際の演奏に合わせたリアクションテストを実施し、わずかなパラメータ変更でお客さまの満足度が大きく変わることも判明しています。
さらに、横浜市との連携による学童(放課後キッズクラブ)での実験など、行政と協力した社会実装も進めています。今最も力を入れているのは、楽器演奏の“最初の第一歩”をサポートすること。初めて/久しぶりに楽器を触った人が「こんなに楽しいものがあるんだ」と、より感じてもらえる仕組みを作りたいと考えています。
AIの時代だからこそ、人間を基軸にした技術開発を
AI技術の進歩により音楽分野でも楽曲生成の質が向上していますが、私が大切にしているのは「人間が音楽を楽しむ」ことを基軸にした技術開発です。楽器を弾く楽しさ、人と一緒に演奏する喜びは、何ものにも代替されないと思うからです。
そして、AI技術がこの先さらに浸透していくからこそ、次に見るべきは「人間」だと考えています。ヤマハの研究環境の魅力は、音・音楽に関するあらゆる分野の専門家がいること、楽器製造から出版、音楽教室、店舗運営まで手がけるグループならではの横断的研究ができることです。
また、研究成果として学会での論文発表も積極的に行っており、同じ領域に関心を持つ国内外の研究者との意見交換や、大学との共同研究のきっかけづくりにも活用しています。特に演奏評価系の技術では、国内外の大学と連携し、「ピアノ初心者がどのようなミスをするのか」といった研究や、それを判別するテクノロジーの開発を進めています。
店舗で新しいシステムを試し、自動演奏ピアノを改良し、その結果も含めて論文にまとめて発表する。そういった“ヤマハだからこそ”推進しやすい研究がたくさんあるのも、ここで働く面白さの一つだと思っています。