あき楽器 ~じゃない音楽プロジェクト~

「あき楽器」とは

「あき楽器」とは、様々な“関りしろ(メディア)”を用いて、音楽・楽器と人の関係性を紐解く活動の総称です。活動名の「あき」を平仮名で表記したのは、その時々の研究テーマや施策を代入する余白の存在を表すため。この「あき」には、音や音楽、楽器に関して人々の身の回りに何らかの現象が起きるような仕掛けが入ります。

例えば、使われなくなった「空き」楽器の活用、地域や人の心をひらく「開き」体験、あるいは練習に「飽き」てしまった心理の探求など、活動の進展とともにアプローチは柔軟に移り変わります。

私たちはこの「あき」のデザインを通じ、従来のアプローチでは捉えきれなかった「人と音楽と楽器の新しい関係性」を解き明かしたいと考えています。数値化が難しい社会・文化的な背景や多種多様な感性への理解を深め、新たな価値の創出につなげることが目標です。

活動発足の背景と目的

2024年4月、「あき楽器」の活動は、三重県名張市をフィールドに始動しました。主な活動は、東京藝術大学様が主導する「共生社会をつくるアートコミュニケーション共創拠点(通称:ART共創拠点)」の枠組みの中で進められています。

この地が拠点となった背景には、文化による課題解決の土壌が、私たちの研究テーマと深く合致したことが挙げられます。三重県名張市は、国内の平均を上回るペースで人口減少が進んでおり、財政難という深刻な課題にも直面しています。しかしその一方で、江戸時代から続く歴史ある街並みや文化が残り、住民同士が互いに助けあう豊かなコミュニティが息づいています。こうした地域の無形資産は、人々のつながりで孤独や孤立を解消する「社会的処方」へと活かされ、その成果は世界的にも注目を集めているのです。

このような「社会的処方」の先進地において、私たちが活動の核心に据えた問いは、「上達を目的としない音楽の愉しさとは何か」という点でした。日本において楽器を演奏する人口は全体の約10%といわれます(※)。それ以外の約90%、つまり10人に9人は楽器演奏から距離を置いているのが現状です。人々が楽器演奏を控える理由はさまざまですが、そもそも楽器演奏は無縁だと感じていたり、演奏が好きでも技術習得のプロセスで挫折してしまったりと、心理的な障壁が存在していることは確かです。

※趣味として楽器演奏を行う10歳以上。2021年(令和3年)度「社会生活基本調査」総務省統計局より

練習を重ねて上手くなる喜びは、楽器が私たちにもたらしてくれる大きな価値です。しかし、楽器の楽しみ方は、本来もっと多様であるはずです。「上達」という尺度だけでは測れない楽しみ方や、その背景にある「心理的機微」や「個人の文脈」を探求したい─そのような思いから、私たちは「あき楽器」を通じ、「上達を目的としない音楽の愉しさ」に改めて着目しました。実際の活動においては、社会学的な手法やアート的なアプローチを取り入れながら、一人ひとりの内なる好奇心と出会うことを大切にしています。

歴史や文化に富みながらも人口減少が進む名張市
2024年4月からプロジェクトが開始された

アートの力を活かした研究の進め方

研究の具体的な進め方としては、名張市内のART共創拠点「まちの図工室」を中心に、以下のようなアクティビティの実装を展開しています。

1.「空き楽器(あきがっき)」の活用

今は使われなくなり、地域に眠っている楽器を「空き楽器」と捉え、人と人をつなぐ「社会的資源」として蘇らせる試みです。「空き楽器」のネーミングは、誰も住まわず、使用されなくなったけれど、思い出がたくさん詰まった「空き家」をイメージして付けました。空き楽器を蘇らせるといっても、単に修理して再利用するのではありません。例えば、楽器に宿る持ち主の歴史や愛着といったストーリーをていねいに拾いあげ、楽器と共に次の人へ引き継ぐことで、モノとしての価値を超えた、人と人の温かなつながりが生まれる現象を観察しています。

2.「音の図工室」ワークショップ

「音の図工室」は、身近な素材を用いて「音具(おんぐ)」を作成し、自分が心地よいと感じる音を発見してもらうアクティビティです。ここでは「正解の音」や「上手な演奏」は求められません。参加者が自身の感性に向き合い、音を通じて他者とのコミュニケーションが生まれるプロセスそのものを観察対象としています。

アートとは、心が動く瞬間を思い出させてくれるものです。「まちの図工室」には現象を意図的に生じさせるためのアート的な仕掛けが随所に施されています。

使われずに眠っていた「空き楽器」のピアノ
身近な素材から音を発見する「音の図工室」

感性研究の深化と社会的実装を目指して

本活動の目標は、人々の内側にある「奏でたい」「関わりたい」というプリミティブな欲求を明らかにし、体系的な知見へと昇華させることです。数値として捉えにくい感性を単に可視化することではなく、その成り立ちや背景まで含めて理解することに重点を置いています。

一般的に感性研究では、条件を統制した実験環境下で感性反応を数値的・定量的に取り扱うことで、人の感性を捉えるためのモデル構築を目指します。一方、顧客調査では、顧客行動を説明・予測するために、購買に至るまでの動機や行動変容、傾向などをパターンとして捉えることに主眼が置かれます。しかしいずれも、定量化やパターン化の過程において、こぼれ落ちてしまう「文脈」や「インサイト」があるのです。

そのため私たちは本活動を通じ、対象者がどのような文脈・経験・意味づけの中で感情や行動を形成しているのか、「心が動く瞬間の発生プロセス」を解明したいと考えています。

例えば、あるピアノについては、「音の鳴る興味深い箱」として配置する工夫を施しました。これにより、まちの図工室を訪れた子どもたちが、純粋な好奇心からピアノに触れ、無意識のうちに演奏行動へ至るといった、興味深い現象が観察されています。

このように現場で生まれたストーリーや熱量は、私たちに「人はなぜ音に触れたくなるのか」という根源的な問いを投げかけてくれます。 そしてその答えは、「社会的処方」はもちろんのこと、文化・芸術活動の浸透を通じ人々のウェルビーイングを叶える「文化的処方」という新たな可能性につながっていくものです。

このように現場で生まれたストーリーや熱量は、私たちに「人はなぜ音に触れたくなるのか」という根源的な問いを投げかけてくれます。 そしてその答えは、「社会的処方」はもちろんのこと、文化・芸術活動の浸透を通じ人々のウェルビーイングを叶える「文化的処方」という新たな可能性につながっていくものです。

「あき楽器」をはじめとする「社会的処方」や「文化的処方」への取り組みは、まだ始まったばかりの挑戦です。私たちはこれらの活動を通じ、数値化できない感性や、人々の音楽・楽器との関わり方について、深く探求していきたいと考えています。