声でバスドラムを操るVXD

VXDプロジェクト

VXDプロジェクトは、2024年7月から始まったヤマハと慶應義塾⼤学との共同研究プロジェクトで、⾳声トリガーによるバスドラム演奏の可能性と演奏感覚について追及を進めています。「RADWIMPS」のドラマーで、現在はミュージシャンズ・ジストニアにより演奏活動を休止している山口智史さんが、同大学に所属してご自身の症状を研究していく中で、このプロジェクトが始まりました。山口さんは長年ヤマハの楽器を愛用頂いているアーティストでもあり、この企画が実現しました。

RADWIMPSドラマー山口智史さん
慶応大・藤井進也准教授の研究室で研究を進めている

山口さんは、2009年に右足にミュージシャンズ・ジストニアを発症しました。ミュージシャンズ・ジストニアとは、演奏時に限り、無意識に筋肉がこわばってコントロールが利かなくなる病気です。山口さんは発症後、思い通りにバスドラムを演奏できなくなり、2015年から無期限で活動を停止しています。ドラマーのジストニアについて何か一つでも知りたいと思い、2021年から慶応大の藤井進也准教授の研究室に所属し、自ら研究を開始しました。ジストニアの正体を掴む研究を進めると同時に、もう一度演奏することを目指し、足以外の動作によってドラム演奏ができないか、検討も始めました。当初は指やヘッドバンギングなどの動作で試してみましたが、自分が理想とする演奏からは程遠かったり、そもそも演奏が楽しくなかったりなど、なかなか思うような方法を見出せずにいました。

試行錯誤の中、山口さんは過去に経験した和太鼓の口伝や、敬愛する村上”ポンタ”秀一さんから学んだ、「叩く前にまずは口で音を出して練習する」という教えを思い出すようになりました。ここから「声でドラムを演奏できるのではないか」と思案し始め、「声で鳴らすバスドラム」の開発を私たちに提案していただき、共同研究がスタートしました。

VXDの仕組み

VXDは、演奏者が「ドン」と声を発した瞬間に、バスドラムが鳴るシステムです。マイクとセンサーにて発声を検知し、それがトリガーとなってバスドラムの中の加振器が振動し、バスドラムが発音します。

マイクとセンサーで発音を認識

VXDは、演奏者がマイクに「ドン」と発声すると同時に、演奏者の咽頭部に装着されたセンサーが喉の動きを検知した時に、バスドラムを鳴らします。マイクから入力された音声を、周波数解析によって「ドン」であるか否かを識別しています。あわせて咽頭部に装着したセンサーで動きを検知することで、発声されたか否かを識別しています。このように二つの方法で同時に検出することで、より正確に「ドン」という発声を識別できるようにしています。

咽頭部にセンサーを装着
マイクとセンサーの両方で発声を検知

Real Sound Viewingを応用したドラム音再生

ヤマハでは、ライブ演奏のデジタルデータを利用し、アコースティック楽器から音を発生させることでライブを忠実に再現する「Real Sound Viewing」を開発しています。今回山口さんにお声掛けをいただいたのは、慶應大学藤井先生がReal Sound Viewingをご覧になり、アコースティックドラムを鳴らせる可能性を感じてくださったことに端を発しています。

Real Sound Viewingにおけるバスドラム発音は、バスドラム本体に独自開発の加振器を取り付け、楽器そのものを発音体とすることで演奏を再現しています。私たちはこれを演奏者が使う技術に展開し、さらに発音の仕方に調整を加えました。

Real Sound Viewing
筐体の共鳴で発音させているVXDのバスドラム

レスポンスを最優先

ドラム演奏は、拍に合わせたりリズム感をキープしたりなど、一つ一つの発音のタイミングが非常にシビアとなっています。他の多くの楽器奏者がそうであるように、山口さんはRADWIMPSのドラマーとして、一層シビアに自分のリズムや音を作り上げています。私たちは、楽器作りにおいて従来から培ってきた信号処理技術を活用することで、極めて早いレスポンスや、アーティストに合わせた調整のしやすさを実現しています。ヤマハが蓄積してきた知見とノウハウをもとにレスポンスの調整を重ね、山口さんが違和感なく、高い演奏感を得られるようなシステムを作り上げています。

試奏しながら山口さんに演奏感の意見をいただく
違和感を解消する為の微調整

開発の道のり

今回の開発では、最初から現在の仕組みが出来上がった訳ではなく、山口さんと試行錯誤しながら、1号機、2号機、3号機と3段階の試作を重ねました。山口さんとともにさまざまな改良を重ねた結果、3号機で初めて、山口さんから「演奏が楽しい」というお言葉をいただくことができました。

1号機:慶應大学からの要望に従い、「ドン」という発声をトリガーとして、加振器によってバスドラムを鳴らすシステムを構築しました。しかし、他の演奏音を検知してバスドラムが鳴ってしまうことがあり、特に「ドン」という発声とよく似ているタムの音が発生した時、誤ってバスドラムも同時に鳴ってしまう状態でした。

2号機:開発者の検討によって、マイクで収音した音声の周波数特性の分析、咽頭部の動きのセンシングを取り入れたことで、「ドン」という発声判断の正確性が増し、発声による演奏が可能な状態となりました。しかし、山口さんは演奏性の面で「なにか物足りない」と感じ、演奏した感覚を得るために、必要な機能、奏者の思う音量など、徐々に演奏感に関わる、より楽器的な課題が出てくるようになりました。

3号機:演奏感を高めるために、バスドラムを鳴らす加振器の配置方法や駆動信号の調整、およびバスドラムの音と連動して椅子が振動するようにしたところ、山口さんから「すごく楽しい!」と好反応をいただきました。山口さんがあまりに楽しくなったのか、想定外の大音量で演奏されたため、喉の動きを検知するセンサーが演奏音に反応してしまうという問題が発生するほどでした。

1号機での初回テストの様子
2号機ではセンサーを追加
今までの課題に対応した3号機の試奏
3号機では椅子の振動など演奏感も組み込んだ

VXD初披露

ヤマハは2024年12月、東京・渋谷のYamaha Sound Crossing Shibuyaにて、一般のお客様と未来の音楽・楽器を一緒に考えるイベント「Future Tech Week」を開催いたしました。期間中の12月21日、Yamaha Lab Vol. 3として山口さんをゲストとして迎え、VXDの試作品を山口さんの演奏とともに披露いたしました。山口さんはVXDを組み込んだドラムセットに向かい、RADWIMPSの「25コ目の染色体」「セプテンバーさん」に合わせ、「ドン、ドン」とマイクに声を発してバスドラムを鳴らしながら、両手に持ったスティックを操って演奏を披露しました。

このステージは、単なる技術公開の場ではありませんでした。これまで山口さんを支えてくれた人たちに、活動停止後初めてドラム演奏を届ける場でもありました。家族や友人、音楽関係者を招き、今までの感謝の思いを込めて、再びドラマーとして演奏ができるようになった姿を披露することができたのです。山口さんの関係者はもちろん、ヤマハとしてもこの感動的な瞬間を共有できたことは大きな喜びでした。

今後について

ジストニアは、研究は進んできているものの認知度はまだまだ低く、症状が出ている本人も理由がわからないまま悩むケースも少なくないそうです。さらに、症状によって演奏活動を断念してしまう演奏家も残念ながら後を絶たず、ヤマハとしても非常に身近な課題となっています。

山口さんから「音声でドラムを鳴らしたい」というお話を聞いた時、最初は半信半疑なところがありました。しかし、山口さんからご自身の背景をうかがう中で、「もう一度演奏する楽しみを取り戻したい」という想いを強く感じ取りました。そこから私たちは、単なるドラムの再現ではなく、演奏する楽しさそのものを追求するプロジェクトとして、やりがいを持って取り組んでまいりました。私たちが所属する研究開発部門では、アーティストとともに新しい楽器を作り出す機会は稀なため、この挑戦は特別で価値あるものでした。開発者の一人である嘉山が述べた、「プロの演奏家が音楽を奪われる辛さは想像もできない」という言葉は、開発チーム一同の思いを代弁しています。私たちはこの思いとともに、山口さんに寄り添って開発を進めてきました。

ヤマハVXD開発チーム 左から:森・山本・瀧川・嘉山
山口さんとも率直に意見を交わしながら開発を進めることができた

VXDは、今後もさらに改良を加えていく予定です。山口さんとしては、まだ使い慣れていない面もあり、使いこなせるようになりつつ、さらなる改良を考案し続けるとおっしゃっています。また、2024年12月の披露では、他のプロドラマーの方なども来場されており、大変興味を持っていただきました。山口さんと作り上げるシステムが、改めて他の方にも活用できる可能性があることを実感しています。

今回の活動では、ヤマハのほかにも様々な人のつながりがあって現在の流れができており、山口さんと「感動をともに創る」過程の一部に、私たちは携わらせていただいています。また、今回は一人のアーティストのアイディアにとことん寄り添っていますが、このような一点集中の深い取り組みが、本質的な価値理解や広範囲の社会課題解決に繋がることがあるのではないかと考えています。この取り組みのゴール地点はまだ見えていませんが、終わりを目指すのではなく、探究を続けることを私たちの研究活動として捉え、新しいチャレンジを続けてまいります。