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音楽ライター記事

ライター:山崎│配信日:2016年1月14日│配信テーマ:洋楽  

【インタビュー】マーティン・フライ(ABC)/「ルック・オブ・ラヴ」から33年、マーティンが見出した“真の愛”


2016年1月、ABCが約33年ぶりの来日公演を行った。

“BACK TO 80s”というサブタイトルが付けられた今回のツアー。UKポップの名盤『ルック・オブ・ラヴ/The Lexicon Of Love』(1982)のなかの「ショウ・ミー」からスタート、さらに同作から「ポイズン・アロウ」、「我が心のすべてを」、「涙まだまだ」に加えて、「そして今は…」、「ビー・ニア・ミー」、「ホエン・スモーキー・シングス」など、歴代のヒット曲を披露した。アンコールはもちろん「ルック・オブ・ラヴ」だ。

唯一のオリジナル・メンバーであるシンガーのマーティン・フライは1980年代と変わらぬ大人のダンディズムとソウルフルな歌声で、我々をポップの時間旅行へといざなってくれた。

夢のような一夜が明けて、マーティンは自らの辿ってきた旅路について語ってくれた。


●1983年2月の初来日公演のことを覚えていますか?

もう30年以上前のことだし、あまり記憶に残っていないんだ。ツアーをした後、もう一度テレビ出演か何かで日本に来たんじゃなかったけな? でも今回感じたのは、日本のファンが音楽を真剣に聴いてくれるということだった。イギリスでは昔のヒット曲で盛り上がってパーティー!みたいな雰囲気があるけど、日本では音楽作品として楽しんでくれるんだ。アーティストとしては、どちらも嬉しいことだよ。

●最近の活動について教えて下さい。

ニュー・アルバムをほぼ完成させたんだ。『The Lexicon Of A Lost Ideal』というタイトルで、『ルック・オブ・ラヴ』から30年後の人生を描いたアルバムで、いわば続編だ。日本のステージで披露した「Ten Below Zero」と「Viva Love」も収録されているよ。「Viva Love」は昔書いた曲だけど(『アブラカダブラ』/1991)、新しいヴァージョンを録ったんだ。それ以外にも「Chip Of The Seasick Sailor」「Flames Of Desire 」「Confessions Of A Fool」…アン・ダドリーがオーケストレーションを担当しているんだ。彼女とスタジオで一緒にやるのは『ルック・オブ・ラヴ』以来だよ。レディー・ガガのプロデューサーだったロブ・フサーリとも一緒にやっている。今年(2016年)5月には発売できる筈だよ。

●ライヴでは新旧のヒット曲をプレイしましたが、やはりお客さんが盛り上がるのは『ルック・オブ・ラヴ』の曲ですね。

ABCにはそれぞれの時期でヒット曲があったんだ。「ビー・ニア・ミー」や「ホエン・スモーキー・シングス」とかね。アメリカでは『ハウ・トゥ・ビー・ア・ジリオネアー』(1985)が最大のヒット作なんだ。EDMを先取りしていたアルバムだよ。でも君の言うとおり、ABCというバンドは永遠に『ルック・オブ・ラヴ』で記憶され続けるだろうね。

●『ハウ・トゥ・ビー・ア・ジリオネアー』の頃にメンバーだったデヴィッド・ヤリトゥとは連絡を取っていますか?

デヴィッドとはずっと会ってないんだ。彼は当時ジョージア州アセンズに住んでいて正直、音楽面ではあまり貢献しなかったけど、私とデヴィッド、そしてフィオナ・ラッセル・パウエルの組み合わせはヴィジュアル的に面白かった。マーク・ホワイトともずっと話してないし…ABCは常に変化してきたんだ。私はどのバンド編成にも愛着があるし、楽しかったよ。デヴィッドは今ではニューヨークに住んでいるんじゃないかな? また会いたいね。

●『ルック・オブ・ラヴ』がヒットして上昇気流に乗っている1983年、ドラマーのデヴィッド・パーマーをイエロー・マジック・オーケストラに引き抜かれたときのことを覚えていますか?

デヴィッドはクレイジーな奴だし、一箇所に留まることはないから、早かれ遅かれABCを脱退していたんじゃないかな。初めて東京に来たとき、彼はシェフィールドに戻りたくなくなったんだ。1983年の東京は、まるで未来世界にタイムスリップしたみたいだったからね。デヴィッドは日本で坂本龍一、それから当時日本に住んでいたビル・ネルソンと親しくなって、そのまま日本に留まることにしたんだ。彼がバンドを去って、もちろん残念だったけど、当時は後ろを振り返る余裕はなかった。メンバーがいなくなっても、前進していかねばならなかったんだ。デヴィッドとはずっと友達だよ。『トラフィック』(2008)で一緒にプレイしたし、彼は今、ロッド・スチュワートのバンドでやっているんだ。

●1983年に作った映画『マントラップ』をどのように思い出しますか?

『マントラップ』はセックス・ピストルズの『グレート・ロックンロール・スウィンドル』を監督したジュリアン・テンプルと一緒に作ったんだ。音楽とヴィジュアルの融合には興味があったし、いろいろやりたいことがあったけど、時間と予算がなくてね。10日間ですべての撮影を終えなければならなかったんだ。でも当時のバンドの姿を撮影しているし、東西冷戦時代のジェームズ・ボンドみたいなストーリーで、作って良かったと思う。若き日のクレイジーで楽しい思い出だよ。ヒロインだったリサ・ヴァンダーパンプはアメリカのリアリティTV番組『The Real Housewives of Beverly Hills』に出演して、大物タレントとなっている。

●『マントラップ』は未DVD化ですよね?

うん、ファンの持っているビデオテープもそろそろ擦り切れた頃だろうから、何らかの形で再発したいね。『ルック・オブ・ラヴ』のCDと『マントラップ』のDVDをカップリングしたデラックス・エディションを出したら良いかも知れない。『デラックシコン(DeluxeとLexiconの造語)』ってタイトルにしたらどうだろう(笑)?

●『ルック・オブ・ラヴ』の大成功の後、大胆に音楽性を変化させた『ビューティ・スタッブ』(1983)を作ったのは何故でしたか?

『ルック・オブ・ラヴ』とまったく異なった音楽をやってみたかったんだ。スピルバーグやスコセッシはスリラーやコメディ、アクション映画を作ったりするだろ? それと同じだよ。私が刺青をしないのは、同じデザインと一生付き合っていく気がないからだ。おそらく1週間ぐらいで、次のデザインにしたくなるだろう(笑)。まあ、ビジネスの視点から考えると『ルック・オブ・ラヴ』の延長線上にあるアルバムを作るべきだっただろうし、ファンにとっても悪夢のようだったかも知れないけど、私たちはビジネスマンじゃないからね。

●『ビューティ・スタッブ』の音楽性については、どう考えますか?

『ビューティ・スタッブ』には幾つも良い曲が入っていたよ。「淋しくないかい」とか「そして今は…」とかね。今から思えば、もっとロキシー・ミュージック的な音楽をやるべきだったと思うけど、当時の自分たちを切り取ったスケッチだった。我々は常に変化を求めていた。むしろ一箇所に安住することを恐れていたんだ。『ビューティ・スタッブ』の頃は、よりハード・エッジな音楽を志向していた。その後に『ハウ・トゥ・ビー・ア・ジリオネアー』でエレクトロニック・ダンスをやることになった。バンドが順調なときは、必ずそれを崩してきたんだ。それは意図的だったり、そうでなかったりしたけどね。

●1985年にホジキンリンパ腫に罹ったと診断されたというのも、大きなブレーキでしたね。

うん、すごくショックだった。当時まだ27歳だったんだ。若い頃は、自分が不死身だと思い込んでいるものだ。チャートの1位で世界中をツアーしていたのに、ある日突然 “死”というものに初めて直面して、本当に恐ろしかった。幸い治療を受けて、全快したよ。再びステージに立つことが出来て、本当に嬉しかった。

●ところで最初期のABCがサイクリングコスチュームでライヴをやっていたというのは本当ですか?

本当だよ(笑)。最初期のABCは“ラディカル・ダンス・ファクション”を名乗っていたし、私は自転車が趣味だったから、2回ぐらい全員でサイクリングコスチュームでステージに上がった。今でも私と妻は自転車乗りなんだ。日本のショーにもサイクリング・クラブのRAPHAのメンバー達が来るんだよ。

●当時、他のコスチュームを着ていたことはありますか?

ゴールドのラメ・スーツを着ていた時期もあったけど、それぐらいかな。今では町を歩けるような普通のスーツだよ。ポピュラー音楽のヴィジュアル性は意識していたし、デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックは好きだったけど、自分たちが派手なコスチュームを着ようとは考えていなかった。ニューロマンティクスというムーヴメントにもあまり興味がなかったんだ。

●あなたがモータウンなどのソウル/R&Bに傾倒していることは、「ホエン・スモーキー・シングス」やシングルB面曲「アルファベット・スープ」からも明らかですね。

うん、少年時代からモータウンを聴いて育ってきたし、スモーキー・ロビンソンは大好きだよ。もちろん「ホエン・スモーキー・シングス」の主人公ほど閉鎖的ではなく、ルーサー・ヴァンドロス、スライ・ストーン、ジェイムズ・ブラウン、マーヴィン・ゲイはいずれも好きだし、尊敬している。リンパ腫で化学療法や放射線治療を受けて、気分が落ち込んでいるとき、音楽が救いになったんだ。それでスモーキーの音楽へのリスペクトを歌ったのが「ホエン・スモーキー・シングス」だった。このレコードをスモーキー本人に手渡すことが出来たのは、本当に嬉しかったよ。

●ドキュメンタリー映画『メイド・イン・シェフィールド』では、1980年代初頭のシェフィールドの音楽シーンであらゆるスタイルのバンドが交流していたことが描かれています。初期ABCもそんなシーンの一部でしたか?

その通りだ。シェフィールドの音楽シーンはボヘミアンな連中が音楽にマニアックに傾倒していて、すごく熱かったよ。みんながみんなのことを知っていた。私はデフ・レパードが小さな倉庫みたいな場所でライヴをやっているのを見に行ったことがあるし、キャバレー・ヴォルテールのリチャードは私の妻のいとこなんだ。ヒューマン・リーグのフィリップ・オーキーとも友達だし、クロックDVAやパルプなどとも知り合いだった。音楽的にはどのバンドも、オリジナルであろうとしてきた。狭い町だし、他のバンドの真似をしたらすぐにバレてしまう。ABCも、誰とも異なる音楽を追求してきたんだ。

●「ルック・オブ・ラヴ」の歌詞には“Martin, maybe one day you will find true love”という一節がありましたが、真の愛は見つかりましたか?

ああ、見つかったよ(笑)。私にとって真の愛は、ライヴを見に来てくれるオーディエンスとの愛なんだ。毎晩、新たな恋に落ちる。だからABCの音楽は、常に新鮮さを失わないんだ。

2016年1月14日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:山崎智之

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