音楽ライター記事
【インタビュー】ジョン・ハイズマン、コロシアム最後のアルバム『タイム・オン・アワ・サイド』を語る<前編>

ブリティッシュ・ロックのベテラン・バンド、コロシアムがアルバム『タイム・オン・アワ・サイド』を発表した。
ジョン・ハイズマン(ドラムス)、クリス・ファーロウ(ヴォーカル)、デイヴ・“クレム”・クレムソン(ギター)、デイヴ・グリーンスレイド(キーボード)、マーク・クラーク(ベース)という布陣に加えて、故ディック・ヘクストール・スミスに代わってジョンの奥方であるバーバラ・トンプソンがサックスで参加。往年の『ヴァレンタイン組曲』(1969)や『ドーター・オブ・タイム』(1970)のような壮大なプログレッシヴ志向は後退したものの、地に足の着いた味わい深いブリティッシュ・ロックを堪能できる。
そのコロシアムがバンドとしての歴史に幕を下ろすというニュースは、世界中のファンを驚かせた。これだけ充実したアルバムを作っておいて、いったい何故…?
その答えを得るべく、バンドの創始者であるジョン・ハイズマンにインタビューを行った。1944年生まれの70歳という彼だが、元気に新旧さまざまなエピソードを語ってくれた。
1時間以上に及ぶインタビューを、前後編に分けて掲載する。まず前編ではバンドの解散と『タイム・オン・アワ・サイド』、そして盟友ジャック・ブルースとの思い出などについて語ってもらおう。
●コロシアムが活動を終了すると聞いて、とても残念です!
コロシアムは素晴らしい仲間たちとの、最高のバンドだった。それが終わるのは私も残念でならないよ。でも、どんな物語にも終わりが来るんだ。妻のバーバラは17年間パーキンソン病を患っていて、日常生活は今のところ問題ないけど、ステージで演奏するのは日々、難しくなってきた。2014年の初めからスウェーデン製の新しい薬デュオドパを投薬するようになって、一時は体調が良くなった。それでアルバムのパートをレコーディングしたんだ。でも体が薬に慣れてしまうと、徐々に体調が悪くなってくる。それでバンドの活動にピリオドを打つことにしたんだ。2015年2月28日、ロンドンのシェパーズ・ブッシュ・エンパイアでのライヴが最後になるよ。
●日本のプロモーターが来日公演のオファーを出そうとしていたそうですが、もう我々はコロシアムを見ることができないのですね。
前回(2007年)日本でプレイしたのは、本当に素晴らしい経験だった。だから、もう一度日本に行けたら最高だと思う。でも、バーバラの体調を考えると、それは現実的ではないんだ。ツアーというものは、会場を押さえて、バンドやクルーのスケジュールを確保しなければならない。それだけやって、彼女が体調を崩したら、すべてが無になるんだ。それに、彼女を置いて別のサックス奏者とワールド・ツアーを行うつもりもない。もし日本でツアーをしているときに彼女の体調が悪くなったら、すべてのスケジュールをキャンセルして家に戻らなければならないしね。コロシアムで活動できたことは本当に幸せだし、楽しかった。でも、そろそろ終点が近づいてきた。これからはバーバラとゆっくり過ごすよ。
●『タイム・オン・アワ・サイド』はコロシアムにとって最後のスタジオ・アルバムとなるのでしょうか?
その通りだ。今後コロシアムとしてアルバムを作ることはないだろう。2010年から2011年のツアーを終えて、すぐにアルバムを作ることにしたんだ。それからバーバラの体調が良くなくて中断していたけど、新薬のおかげでまたプレイできるようになって、2014年3月から7月にかけてレコーディングした。マーク・クラークはアメリカに住んでいるし、デイヴ・グリーンスレイドは3時間ぐらい離れたところに住んでいる。クレム・クレムソンは比較的近所なんだ。それで全員で集まって、アルバムを作った。これまでで最も簡単に作れた作品だったよ。全員の思いがひとつだったせいか、曲作りもスムーズだったし、演奏もぴったりハマったんだ。ミックスは私がやったけど、完成像が頭の中に既にあった。長年レコードを作ってきて、ようやくコツを掴んだ気がするよ。とても満足している。バーバラの演奏は、みんなを驚かせたよ。知らずにアルバムを聴いたら、彼女が病気だなんて誰も思わないだろうね。
●あなたはバーバラと半世紀一緒に過ごしてきましたが、彼女がコロシアムのメンバーとしてスタジオ・アルバムに参加するのはこれが初めてですよね?
その通りだ。だけど彼女はコロシアムの最初の3枚のアルバムにも参加しているんだよ。『コロシアム・ファースト・アルバム』(1969)と『ヴァレンタイン組曲』(1969)ではノー・クレジットで参加している。当時ディック・ヘクストール・スミスは自分のパートをダブル・トラッキングするのが苦手だったんだ。それでバーバラが彼のパートに重ねてプレイしている。『ドーター・オブ・タイム』(1970)にはちゃんとクレジットされているけどね。それで2004年にディックが亡くなったとき、彼女が加入するのは、最も自然なことだったんだ。『タイム・オン・アワ・サイド』は私たちの家の隣にあるホーム・スタジオでレコーディングしたから、とてもやりやすかった。
●『タイム・オン・アワ・サイド』にはあなた達のお嬢さんのアナ・グレイシーも参加していて、いわばハイズマン家のファミリー・アルバムですね。
うん、アナはアルバムのジャケットも手がけているし、「ブルース・トゥ・ミュージック」を書いて、歌っているんだ。この曲は何年も前に書いたもので、生前のディックも気に入っていた。「コロシアムの次のアルバムに入れようよ」と話していたんだ。今回それが実現したわけだ。
●アナはクリス・ファーロウとデュエットで歌っていますが、イギリスを代表するブルー・アイド・ソウル・シンガーの一人である彼を向こうに回して歌うのは度胸が要ったのでは?
うん、でも彼女は見事にやってのけたよ。彼女は子供の頃からクリスおじさんを知っていたし、緊張はしなかったみたいだ(笑)。デュエットを提案したのはクリスだったんだ。デモを聴いて、彼女の声が気に入ったんだよ。それでスタジオで一緒に歌って、2テイクで完成した。すごくスムーズだったんだ。アナには最後のロンドン公演で、この曲をクリスと歌ってもらうつもりだよ。
●初期コロシアムのようなアルバム・コンセプトはなかったのですか?
壮大なコンセプトよりも、現在の自分たちを表現したかったんだ。アルバムというのは、ミュージシャンの人生のスナップショットだと私は考えている。クレムが書いた「ザ・ウェイ・ユー・ウェイヴド・グッドバイ」は2010年、コロシアムの曲としてレコーディングしたんだ。でも、その時点で我々がアルバムを作るかどうか判らなかったし、クレムは自分のアルバム『In The Public Interest』にソロ・ヴァージョンを収録した。その後、『タイム・オン・アワ・サイド』が出ることになったんで、そちらにコロシアムとしてのヴァージョンを収録することにした。クレムの作曲はこのアルバムで光っているね。「ザ・ウェイ・ユー・ウェイヴド・グッドバイ」もそうだし、「シティ・オブ・ラヴ」も、彼が最初に持ってきたデモとほぼ同じアレンジで演奏したんだ。変更するべき箇所が見当たらなかったんだよ。
●ディック・ヘクストール・スミスに捧げた「ディックス・リックス」について教えて下さい。
この曲を書いたのはデイヴ・グリーンスレイドで、歌詞を書いたのはクリームの作詞者で有名なピート・ブラウンだ。ピートはディックのことをよく知っていたし、彼に捧げた歌詞を書いてくれた、「ジャズとブルース、靴には穴」というのは、ディックの人生を見事に表現しているよ。ディックは少年時代、クラシックを学んで、トラディショナル・ジャズ・バンドでソプラノ・サックス奏者になった。それからモダン・ジャズ、そしてブルースへと移っていったんだ。彼はイギリスの音楽シーンでは名前が知られていたし、尊敬されていたけど、経済的には恵まれていなかった。初期コロシアムではそこそこ稼いだと思うけど、それから25年間、彼の生活は楽じゃなかったんだ。コロシアムが再結成したことで、少しはマシになったと思うけどね。
●Dick’s Licksというタイトルは、“ディック・ヘクストール・スミスのフレーズ”と、“アレを舐めろ”という下ネタのダブル・ミーニングでしょうか?
全然違うよ(苦笑)!“リック”というのは元々ジャズ用語で、ミュージシャンの固有のフレーズを指すんだ。ディックは1960年代から個性的なミュージシャンで、キメのリックを幾つも持っていた。この曲には、彼のリックを何箇所か忍び込ませているんだ。彼の音楽を知っている人だったら、微笑みを浮かべる瞬間があるだろうね。
●デイヴ・グリーンスレイドの書いた「アノ・ドミニ」は6分の中にさまざまな要素が詰まっていますが、この曲について教えて下さい。
「アノ・ドミニ」はおそらく、初期コロシアムに最も近い曲だろうね。実はこの曲をクリスはあまり気に入っていなかったんだ。ちょっとオールド・ファッションに感じたらしく、この曲を歌うことにもあまり熱心ではなかった。それでマーク・クラークが「俺が歌うよ」と言ってくれて、良いヴォーカルを吹き込んでくれた。普段と異なる、マークのよりヘヴィな側面を聴くことができる曲だ。こういう、我々の過去と接点を持つ曲を収録することは、良いアイディアだったと思う。
●マーク・クラークはテンペスト時代はメイン・ソングライターの一人だったのに、近年はほとんど曲を書いておらず、新作でも「ノーウェア・トゥ・ビー・ファウンド」のみですが、彼はもう曲をあまり書いていないのでしょうか?
マークは自分が主にプレイヤーでヴォーカリストだと考えているようだね。彼はアメリカでモンキーズの一員として20年間やっていたり、ビリー・スクワイアーのバンドで活動してきた。彼らのアルバムで曲を書いたり、共作しているから、みんなが考えるよりも作曲に関わってきたと思う。『タイム・オン・アワ・サイド』でも「ノーウェア・トゥ・ビー・ファウンド」を書いてくれたし、我々は彼の貢献にとても満足しているよ。彼はアメリカから飛んできた翌日、ピアノでこの曲を弾いてくれたんだ。それをバンドで演奏するようにアレンジしたのがアルバムに収録されているヴァージョンだよ。
●アルバムのラストにはジャック・ブルース作の「朝のストーリー」が収録されていますが、2014年10月に亡くなったジャックへのトリビュートとして収めたのでしょうか?
いや、アルバムに「朝のストーリー」を入れることを決めたとき、ジャックはまだ健在だった。アルバムに収録したのは2007年、ドイツでのライヴ・ヴァージョンなんだ。アルバム中、バーバラのプレイで私が一番気に入っているのが、この曲のソロだよ。2007年のツアーの前、どんなセットリストを組むかみんなで話し合ったとき、クレムが「朝のストーリー」を提案してきたんだ。それからしばらくその話は忘れていたけど、ツアーのリハーサルの初日、「じゃあ、やってみようか」とクレムが言い出した。どんな曲だったっけなぁ…と思いながらプレイし始めたら、最後まで演奏できたんだ! どうして自分がこの曲をプレイできるんだろう?…と1週間ぐらい不思議だった。そしてハッと思い出したんだ。私がゲイリー・ムーアとコロシアムIIを結成したとき(1974年)、毎日この曲をリハーサルしていたってことをね。キーボード奏者を50人以上オーディションしたけど、良い人が見つからなくて、連日「朝のストーリー」をゲイリーと2人でジャムっていたんだ。大昔の話だし、そのことはすっかり忘れていたけど、体が覚えていたんだよ。
●「朝のストーリー」は初期コロシアムIIのライヴの1曲目でしたよね。
えっ、本当? 私たちがステージで演奏していたの? 覚えていないよ。…ううーん、40年も経つと忘れてしまうものだね(苦笑)。
●ジャック・ブルースとはどのように知り合ったのですか?
ジャックとは1960年代のロンドンのジャズ・シーン以来の友達だったんだ。その後、グレアム・ボンド・オーガニゼーションにジャックとジンジャー・ベイカーがいて、2人がクリームを結成するために脱退した後、私がジンジャーの後任として加入することになった。ジャックのソロ・アルバム『ソングス・フォー・ア・テイラー』(1969)と『シングス・ウィ・ライク』(1970)にも参加したし、コロシアムで彼の「月への縄ばしご」や「想像されたウェスタンのテーマ」もプレイしたよ。彼のことは音楽家として尊敬していた。ジャックと私、そしてアラン・ホールズワースの3人で、アルバムを作ったこともあるんだ。1970年代後半にレコーディングしたけど、レコード会社に出すことを拒絶された。そのテープは長年失われていて、つい先日発見したんだ。ジャックの遺族やアランと話してみる必要があるけど、何らかの形で世に出したいね。
●アランのバンドのドラマーであるゲイリー・ハズバンドがそのテープを聴いて、素晴らしい演奏だと絶賛していましたよ。
ゲイリーはあのアルバムを聴いたの? 彼はアランとやる前、バーバラのバンドにいたこともあるんだ。何かの機会で、私かアランの手元にあるテープを聴いたのかもね。
●ジャック・ブルースとプレイするのは、どんな経験でしたか?
ジャックはまるで、人間火山が噴火するようだった。彼の奥底から、何かが沸騰しているのを感じたよ。彼とプレイするのは、音楽のスタイルなど超越した、ジャズもブルースもロックも関係ない、人間と人間のぶつかり合いだった。
●ジャックは2014年10月に亡くなってしまいましたが、連絡は取り合っていましたか?
ジャックとはずっと友達だったよ。何年も話さないときもあったけど、久しぶりに話すと、まるで昨日会ったように打ち解けた。最後に彼と会ったのは、ゲイリー・ムーアの葬式だったよ(2011年2月)。2時間ぐらいじっくり話すことができて、それがジャックとの別れとなった。それからもメールで連絡を取っていたけど、会う機会がなかったんだ。
●ところで、さっき話題に出たグレアム・ボンドは黒魔術やオカルトに傾倒していたことでよく知られていましたが、あなたと一緒にやっていた1960年代からそうだったのでしょうか?
いや、当時からグレアムは深刻なドラッグ中毒者だったし、頭がいかれていたけど、まだ魔法使いのフリはしていなかったよ。
●あなたはジャズやブルース、ロックなど多様な音楽をプレイしてきましたが、音楽ジャンルに対するこだわりはありますか?
ジャンルにはこだわらないようにしている。私のバイオグラフィ本のタイトルは『Playing The Band』だけど、それは私のドラムスに対する哲学なんだ。私は常にバンドの一員であって、バンドの音楽によって、私のプレイも変化していく。私は“バンドをプレイする”んだ。
インタビュー後編では1974年から1978年、ジョン・ハイズマンがゲイリー・ムーア、ドン・エイリーらと活動したコロシアムIIの秘話、そして今後の活動などについてお伝えしたい。

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