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音楽ライター記事

ライター:山崎│配信日:2013年7月11日│配信テーマ:洋楽  

ディッキー・ベッツ・インタビュー/ サザン・ロックの巨匠が語るギター人脈


 2013年6月、ディッキー・ベッツが来日公演を行った。1970年代、オールマン・ブラザーズ・バンド(以下オールマンズ)の一員としてデュエイン・オールマンとのツイン・ギターでサザン・ロックの黄金時代を築いたディッキーだが、2000年にバンドを脱退。それから13年を経て、リーダー・バンド”ディッキー・ベッツ&グレイト・サザン”を率いて、日本でプレイすることになった。

 「ランブリン・マン」、「ステイツボロ・ブルース」、「エリザベス・リードの追憶」など、オールマンズの名曲のイントロが奏でられるたびに、観客からどよめきが洩れる。来日直前、体調を崩していたというディッキーだが、それをまったく感じさせない迫力のステージで魅せてくれた。

 来日公演の舞台となったビルボードライブ東京で、ライヴを前にしたディッキーから話を聞くことが出来た。彼はオールマンズのバンド編成や、ギタリスト人脈について語ってくれた。

●”ディッキー・ベッツ&グレイト・サザン”はギターが3人、ドラムスが2人、キーボードとベースという大人数編成のバンドですね。オールマンズにしてもそうですが、大所帯バンドにこだわる理由は何でしょうか?

 このスタイルは、昔の南部の”ウェスタン・スウィング”からの影響なんだ。ウェスタン・スウィング・バンドはツイン・ギターとツイン・ドラムス、それにフィドルやスティール・ギターという編成で、ジャズやスウィングをプレイしていた。地元フロリダの先輩たちはそんなスタイルでやっていたし、私自身、オールマンズ以前からツイン・ギター編成のバンドでプレイしてきた。オールマンズは決して元祖ではなかったんだ。私とデュエイン・オールマンは、他の連中よりもうまくやっただけだよ(笑)。もちろんロックやブルースを加えるなどして、オリジナリティも重視したけどね。

●デュエインは1971年、バイク事故で亡くなってしまいましたが、それはバンドの存続に関わる事件だったのでは?

 もちろんだ。『イート・ア・ピーチ』を作っている途中で、デュエインの事故があったんだ。グレッグ(オールマン)も私も、目の前が真っ暗になった。それでもバンドを続けることがデュエインの望むことだと思って、アルバムを完成させたんだ。しかし、次のアルバム『ブラザーズ&シスターズ』を作っているときにベリー・オークリー(ベース)がまたもやバイク事故で亡くなってしまったときは、本気でバンドの解散を考えたよ。本当に続ける価値があることなのか?と、悩むこともあった。でも私たちはまだ若くて野心があったし、「ランブリン・マン」がヒットして勢いに乗ることが出来た。まだやりたいこと、やるべきことがあるという結論に達したんだ。

●ツイン・ギターを売り物にしていたオールマンズですが、しばらく新ギタリストを迎えず、あなた一人でギター・パートを弾いていたのは何故ですか?

 誰もデュエインのようにギターを弾くことは出来ないからだ。それより大事なことに、彼のような人間はいないからだった。私たちは兄弟を、友人を失った。誰も代わりになることは出来ない。それでしばらく、私が一人でギターを弾いたんだ。キーボードのチャック・リヴェールが頼りになったし、なんとかやっていけたよ。

●『ブラザーズ&シスターズ』ではレス・デューデックが「ランブリン・マン」「ジェシカ」でギターを弾いていますが、彼をオールマンズに迎える可能性はなかったのですか?

 レスをバンドに加える気はまったくなかった。あの頃、彼は仕事を必要としていたから、あくまでヘルプとして参加してもらったんだ。後になってから、オールマンズに加入する筈だったとか、「ジェシカ」は自分が書いたとか、とんでもない嘘をついているのは、首を傾げてしまうけどね。

●レスは今年(2013年)2月に来日公演を行っていますが、「ジェシカ」を”自分が共作した曲”と紹介していました。

 うーん、彼については、正直あまり触れたくないよ。”less the better:少ないほど良い”と言うけど、”Les Dudek the better”だな(苦笑)。

●1976年にオールマンズが最初の解散をしたのは、デュエインの後任ギタリストが見つからなかったこともあるのでしょうか?

 それも理由のひとつだったかも知れないけど、グレッグのドラッグのこともあったし、ディスコがブームになって、私たちのようなバンドにお呼びがかからなくなったこともあった。でも、全米のファンからの要望があって、すぐに再結成したんだ(1978年)。その時は私ともう一人、ダニー・トーラーがギターを弾いた。彼は良いギタリストだったし、きちんと仕事をしてくれたよ。残念ながら、彼も亡くなってしまったけどね(2013年2月)。

●ところで先日、リック・デリンジャーが来日公演を行ったのですが、デビュー前の彼と交流があったそうですね?

 その通りだ。リックが12歳ぐらいの頃だよ。当時はまだ”デリンジャー”とは名乗っていなくて、本名のリック・ゼーリンジャーだった。私のオールマンズ以前のバンド、ジョーカーズとよくジャムをしていたよ。”天才少年”という点では、デレク・トラックスと共通するものがあったよ。物凄いギター・プレイで、その場の注目を集めてしまうんだ。それから間もなく、リックはマッコイズの「ハング・オン・スルーピー」で大ヒットを飛ばした。一瞬にして追い越されてしまったのさ!でも彼は私のことを覚えていてくれて、「ロックンロール・フーチー・クー」で「ジョーカーズというバンドが演奏していた」と歌っているんだ。彼はグッド・ボーイだよ。


Special thanks: Billboard Live Tokyo

2013年7月11日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:山崎智之

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