音楽の持つ可能性を、もっと世の中に。
<前編>
Kate Eberstadt/アーティスト・コミュニティ支援者
音楽の力で、難民の子どもたちに希望を。
大きな困難にさらされた人たちに、音楽は何ができるのか。難民生活を送る子どもたちに音楽教育を届けるプロジェクトを立ち上げたKate Eberstadt氏は、この問いに真正面から向き合ってきました。「音楽から生き方を学んだ」と語る氏の、活動の原点に迫ります。
生きていく上で大切なことを、音楽が教えてくれた。
私が初めて音楽と関わりを持ったのは4歳の頃。当時暮らしていたワシントンD.C.の教会で、同年代の子たちとともに歌ったことです。6歳からはピアノを習い、初めて自分で作曲したのは10歳のとき。引っ込み思案だった私にとって、音楽は自分を表現する唯一の手段でした。音楽がなかったら友達を作ることさえ難しかったかもしれません。
そんな私が「コーラル(賛美歌)」に出会ったのは14歳のときです。ひとりで向き合うピアノとは違って、大勢で奏でるコーラルのハーモニーは、当時の私にはなじみのないものでした。その上シャイだった私は、誰かとともに歌うことにも自信がなかったのですが、このコーラルグループを指導していた先生からの熱心な誘いに乗って参加を決めます。その人こそが、私の人生に多大な影響を与えたBenjamin Hutto先生です。
著名な音楽家だったHutto先生は、音楽が子どもの成長に重要な役割を果たすことを知っていたため、私たちの指導にも全力を注いでくれました。他者と協働する際に「自分の役割を果たすことの大切さ」を教えてくれたのが先生です。私にとって、これは音楽のことだけに留まらず、誰かと共存する上で重要な考え方となりました。

アートには、文化や言葉の違いを飛び越える力がある。
先生の指導のおかげで、私はコーラルに夢中になり、最終的にはグループのリーダーを務めるまでになりました。また高校や大学の頃には、コーラル以外にもさまざまな音楽活動に取り組みます。オーケストラの編曲を学んだり、アカペラグループの編曲をしたほか、いろんなタイプの作曲や、音楽CDの制作・販売、ほかにもバンド演奏もしました。Robert Wilsonという世界的な音楽家が開催する音楽教育プログラムに参加したのも大学時代です。
27カ国から90名ものアーティストが参加した本プログラムには、英語を母語としない人も大勢いました。文化的な背景だってそれぞれに異なりましたが、音楽や踊りを交えた新たなアートをともに生み出したことが、バラバラだった私たちをひとつにします。アートには言葉や文化の壁を超えてコミュニティを作り上げる力がある。このときそう確信しました。

恩師の急逝が、支援プロジェクトの起ち上げを後押しした。
Robert Wilsonのプログラムに参加後、彼からThe American Academy in Berlinで招待作家として学ぶように推薦された私は、ドイツで難民生活を送る子どもたちのことが気がかりでした。故郷を遠く離れ、言葉も通じない国で暮らすことは、子どもたちにとってどれほど過酷なことでしょう。まして、幼少期の私のようにコミュニケーションが苦手な子どもにはなおさらです。避難生活が長引けば、彼らは思ったこともうまく伝えられず、アイデンティティ(=自分らしさ、個性)を喪失しかねません。「彼らのために何かできないか」と思うようになったのはその頃です。
そこで「音楽の力を活用すれば、彼らの自己表現を助けられるし、言葉が違う子ども同士でもコミュニケーションできるはず」といったことを考えだした矢先に飛び込んできたのはHutto先生の訃報です。今度は、先生が教えてくれた「音楽の力」を、私が難民の子どもたちに伝えていきたい。そんな使命感に駆られて先生の名前を冠した「The Hutto Project」を立ち上げました。プロジェクトのスタート当初に「ぜひ参加したい」と言ってくれたメンバーは6名。それぞれアメリカやベルギー、フランスなど異なる国に住んでいた私たちは、このプロジェクトのためにベルリンに集まりました。

- Kate Eberstadt/アーティスト・コミュニティ支援者
- ニューヨーク在住のアーティスト。子どもの頃から歌、ピアノ、作曲、賛美歌などに携わる。Robert Wilsonの音楽教育プログラムを経て、ベルリンに住む多くの難民の子どもに、音楽やパフォーマンスの力によって希望を与える「The Hutto Project」を創設。
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