人を笑顔にする。
この歓びを音楽とともに。
<後編>

田中 亘/音響エンジニア

家族とともに、豊かな人生を。

ミュージシャン、オーディエンス、音響エンジニア。みんなの歓びが循環するのがいい──。田中亘氏は、自らの仕事をこう形容します。家族を得たことで「仕事一筋だった日々が大きく変化しだした」という氏は「家族とともに豊かな人生を」と今の心境を語ります。

仕事を通じて、いろんな非日常を楽しみたい。

僕は無類の旅好き。いろんな土地に足を運びたい。だから遠くに呼んでもらえる仕事には積極的です。一度「首都圏以外に住んで仕事をしたらどうだろう?」と考えたこともありました。しかし旅先で「非日常」を味わえるのは、東京での「日常」があってこそ。日常とのギャップがあるから、非日常が輝くのですよね。

以前、はこだて国際民族芸術祭での仕事を終えた後に、機材が山積みのワンボックスカーで北海道を旅して回ったことがあります。温泉に入って、キャンプ場で寝泊まりして、旨いものを味わう。思い出に残る最高の2週間でした。

島根の離島、海士(あま)町に仕事で呼んでもらったこともあります。このプロジェクトでは海士町にあるさまざまな音と、島でミュージシャンが生み出した音楽をCDにしてリリースしました。その際にできた海士町とのつながりから町最大のイベント「キンニャモニャ祭」の音響も任されました。普通なら地元の音響さんに依頼がいきそうな仕事ですが、交通費をかけてまで東京から呼んでいただけるのですから、僕は本当に幸せものです。

はこだて国際民俗芸術祭の音響を手がけるようになって2017年で5年目。
アコースティックなサウンドを得意とすることが期待されての起用だった。

沖縄の仕事を通じて手にした一生ものの幸せ。

沖縄県の伊平屋島でも似たようなプロジェクトに携わりました。この島には高校がないから、進学する子はみんな中学卒業を機に島を出ます。そんな彼らが少し疲れてしまったときなんかに、この島で生まれた音を耳にして「自分はこんな素晴らしい島で生まれ育ったのだ」と自信や誇りを取り戻してもらうCDを制作するプロジェクトです。

さとうきび畑に風が吹いたときのサラサラと鳴る音。フェリーが発着するときの音。海の音。チャイムの音。学校から聞こえる子どもたちの声。コンバインの音。虫の声。以前、別の離島でともに活動した伊平屋島の仲間に声をかけられ、伊平屋のミュージシャンや子どもたちとともに曲を作り、 子どもたちの歌をレコーディングすることもありました。伊平屋では、夕方に始まって夜に満月を見ながらゴールを迎える「ムーンライトマラソン」が開催されます。曲中には、このときのパーンという号砲や、観衆の声援も取り入れました。

ちなみにこのCDのデザインを担当したのが僕の妻です。この仕事が縁で結婚へと至りました。

伊平屋島でのレコーディングのひとコマ。子どもたちの歌声にパワーをもらう。

夫婦で支え合いながら、対等に仕事を続けていきたい。

サラリーマンを辞めて、音響エンジニアを本業にしてからの10年間は楽しいことだけをやってきました。さながら「仕事とプライベートがほぼ同一な状態」です。しかし結婚すると、妻がそばにいてくれて嬉しい反面「仕事オンリー」とはいきません。しかも父になったばかりです。この1年間で僕のライフスタイルは様変わりしました。

うちは妻も自営業なので、彼女だけでなく僕も子どもの面倒を見ることで、夫婦が対等に仕事を続けられたらベストです。サラリーマンの方に比べて、自分の時間を自分でコントロールしやすいフリーランサーの強みを生かしてね。そうは問屋が卸さないという場面にも遭遇するかもしれませんが、そこはなんとか踏ん張りたい。

音響の道を選んだときと同じように、今でも人生において大切なのは「精神的な豊かさ」です。「こんな音響の仕事をしたい」というよりは「人を笑顔にすることで得られるこの仕事の歓び」をこれまで通り手にしながら、私生活にもたくさんの笑顔を呼び込みたい。家族とともに、これからも豊かな人生を歩んでいきたいと思っています。

伊平屋島でのプロジェクトをともにした仲間たちとともに。この仕事を通じて人生のパートナーとも出会った。

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田中 亘音響エンジニア
高校生のころから、趣味でバンドのライブやコンサートなどの音響エンジニアリングを手がける。2007年にフリーランスの音響エンジニアに。首都圏を拠点に、全国を飛び回りながら活動。さまざまなCDなどのレコーディング、ミキシング、マスタリングも担当。アコースティックサウンドを得意とする。

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