人を笑顔にする。
この歓びを音楽とともに。
<前編>

田中 亘/音響エンジニア

「歓びの連鎖」を味わうために。

音楽とオーディエンスとの架け橋。それが音響エンジニア(以下、音響)という仕事です。「演奏よりも音響を担うことのほうが楽しかった」と語る田中亘氏にとって、音楽に生きることは「精神的な豊かさ」を追い続けること。父になったばかりの氏の素顔に迫ります。

ギターをプレーすること以上に、音響が楽しかった。

僕にとって最初期の音楽体験。それは5、6歳のころ、家にあったラ・バンバ、ビートルズなどのレコードを自らプレーヤーに乗せて聴いたことです。好きで聴いてはいましたが、正直、そのころから音楽に夢中だったわけではありません。本格的に音楽に魅せられたのは高校生のとき。軽音楽部に入ってギターを手にしました。なぜ軽音楽部だったのかは覚えていませんが、入部してからはジョー・パスやパット・メセニーといったジャズギタリストの音楽に傾倒しました。

音響との出会いもこのころです。僕が所属していた軽音楽部は、照明や音響をプロのエンジニアに依頼せず、すべてを自分たちでまかなっていました。それでも機材だけはプロの音響エンジニアの方から格安でレンタルしていたので、そのお返しとして彼らの仕事をお手伝いしたのが音響の現場に出た最初です。音楽をやるなら「ステージで演奏」のほうが楽しいと思われがちですが、僕は珍しいことに音響のほうが楽しかった。だからギタリストとしての自分は高校の3年間だけでピリオド。おかげであまりギターは上達しませんでしたね(笑)。

音響と出会った高校生のころ。
機材運びや設置など、力仕事からスタートした僕の原点。

「何をしている自分でありたいか」が音響を選ぶ決め手に。

大学時代には、一緒にバイク旅をしていた幼なじみが企画したイベントで音響を手がけるようになります。そこで得たコネクションを足がかりに多くのミュージシャンとも知り合いました。イベント活動はクルマのシートの設計を手がけていたサラリーマン時代にまで続きます。平日は仕事、週末は音響のバイト。二足のわらじです。音響は好きでしたけど、好きなことを仕事にするのはいろいろな意味で悩みどころですから、これを本業にしようとは長らく考えませんでした。

それでも音響のバイトを通じてコネクションは広がり続け、ついには自分でもイベントを主催するようになり、手持ちの機材も増えていきました。結局、30歳を迎えるときに「自分は何をしているときが幸せなのか」を見つめ直し、音響という仕事を選びます。独立への恐怖心は不思議なくらいありませんでした。一緒にイベントを開催していた仲間たちと何か面白いことをしたいという気持ちが勝っていたのでしょう。当時は独身で若かったですしね。

歓びが循環する。この仕事の醍醐味です。

ステージで演奏するミュージシャンのために音響が心地良い音を作り、それによってオーディエンスに届く音が良くなり、オーディエンスが笑顔になる。すると僕も笑顔になれて、みんなの歓びが輪のように循環する。これこそが裏方といわれるこの仕事の醍醐味です。その連鎖が起こると自然とボリュームのフェーダーを上げてしまいます(笑)。

ここで僕が最優先するのは、ミュージシャンたちに気持ち良く演奏してもらうこと。「自分の好み」は二の次です。彼らが心地良くなければ、オーディエンスに届く音も良くならないと思うからです。鍵となるのはミュージシャンとの対話で、彼らの生き方、好きな音楽、趣味、いろいろなことを探った上で「その人らしさ」を音作りに生かします。ミュージシャンに「どんな音を作りたい?」とそのまま聞いても「わからない」と言われるのがオチですからね。

ちなみに僕自身は、ミュージシャンが生み出した音の魅力を、そのままオーディエンスに届けたい。それがポリシーだからか、楽器から生まれたままの音をストレートに表現するアコースティックな音楽が好み。実際そういった音楽の音響を得意としています。

本番前の限られた時間の中で、手際よく準備を進める。

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田中 亘音響エンジニア
高校生のころから、趣味でバンドのライブやコンサートなどの音響エンジニアリングを手がける。2007年にフリーランスの音響エンジニアに。首都圏を拠点に、全国を飛び回りながら活動。さまざまなCDなどのレコーディング、ミキシング、マスタリングも担当。アコースティックサウンドを得意とする。

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