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毎日新聞│配信日:2020年1月27日│配信テーマ:クラシック  

<新・コンサートを読む>第62回東京国際ギターコンクールの本選 静けさのよってきたるところ=梅津時比古


 第62回東京国際ギターコンクールの本選を聴いて、静けさに打たれた。

 それはギターの音が相対的に小さいからというわけではない。動きの少ない作品だけが弾かれたわけでもない。必ず取り上げなければならない課題曲はcoba作曲の≪Return to O≫だが、それはむしろかき鳴らすところの多い曲であった。

 音量と静けさが比例しないことは、メータ指揮ベルリン・フィルハーモニーのブルックナー≪交響曲第8番ハ短調≫の最後、サントリーホールの大空間にあらゆる楽器が鳴り響いている中で、不思議な静けさに包まれたときにも感じた。

 あるいはこういう状況もある。簡易なコーヒーチェーン店では多くの人がパソコンを開いている。私もその一人だ。周りがうるさくても、集中していると、店に流れているロックも遠ざかってゆく。

 本選に残った6人がそれぞれのリサイタルを繰り広げた昨年12月8日の白寿ホール(東京都渋谷区)の午後は、静謐(せいひつ)な時であった。

 最初に登場したのはイタリアのジャン・マルコ・チャンパ。

 緊迫した会場にチューニングの音が響く。ようやく整ったハーモニーから続くように弾き始めたのは、タンスマン≪スクリャービンの主題による変奏曲≫。

 まだ前衛的になる前のスクリャービンの旋律が主題に取られている。主題も変奏もロマン的でありながらも諦観が忍び寄り、内面に分け入るように響いてくる。その両面を行き来するチャンパのギターの響きは、必然的に遠近法をまとう。スクリャービンの初期のロマン性はショパンの美観からの影響と思っていた私は、思い違いに気づいた。それは孤独と夢が溶け合う中で、スクリャービンが世界との距離をおし測ろうとしている響きなのだ。

 2番目に登場したカルロッタ・ダリア(イタリア)は、ブローウェルの曲が≪悲歌≫と題されているにもかかわらず、そこに悲しみや嘆きを見いだしていないように思える。

 悲しみは、自分に与えられていないもの、無くなってしまったものを、欠如として感じることから来るのだろう。しかし彼女はそれを訴えず、欠如を少しずつでも自分の音の広がりで満たしてゆこうとする。≪悲歌≫が温かい。

 以後の4人も、バッハ、シューベルト、武満など多様な曲目に全く異なる個性を発露、ギターのレパートリーの幅広さ、深さ、歴史を刻印した。結果は、レゴンディ≪ベッリーニのカプレーティとモンテッキの主題による変奏曲≫を多彩な音色でまとめ上げたチー・ヒョン・パク(韓国)が1位。冒頭に弾いたチャンパが2位。ダリアは最下位であった。

 順位は総合的な要素で決まるが、今回、音を発した後の響きの行方を丁寧に聴いている奏者に心ひかれた。それは、自分の音楽を見つめることに徹している、とも言い換えられる。

 静けさは、集中だけではなく、自らの精神と向き合うときにやってくるのだろう。

毎日新聞2020年1月18日東京朝刊(3版)掲載 執筆記者:梅津時比古

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