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毎日新聞│配信日:2020年1月20日│配信テーマ:その他  

<音のかなたへ>正月の青空の真上


 「私たちはクリスマスだけど、日本の楽しみはお正月ね」と、親しくしていた3人のドイツのおばさんは皆そう言った。一人は祖母の弟とドイツで結婚して日本に来たエルマさん。「ドイツの黒パンが食べたい」といつも言っていた。2人目は、私がケルンで「ドイツ語と日本語を教え合おう」と誘われてよくお宅にお邪魔したオルガさん。そして日本で素晴らしい歌曲ピアニストとして知り合ったカーリンさん。エルマおばさん以外は親族ではない。見た目もおばさんと言っては失礼なのだけど。

 ドイツでは「おばさん」は特別の存在である。厳しくて、温かい。そして何でも知っている。少し前までは、電車の中でよその子どもたちをしかるおばさんを見かけた。最近では、グーグルで調べることまで「グーグルおばさん(Tante Google)に聞く」と、おばさんに見立てるそうだ。ケルンで友人がよく「おばさんの所へ行く」と言っていて、たくさんおばさんがいるなあと思ったが、それは皆、血のつながりの無いおばさんたち、と後で分かった。

 クリスマスまで毎日、窓をひとつずつ開けてゆくアドベンツカレンダーを初めて見たのはエルマおばさんの家。子供心に「もういくつ寝るとお正月」と同じと思った。クリスマスにも、復活祭にも、寂しくないように気遣って自宅に呼んでくれたのはオルガさん。クリスマスのときは親戚の人たちの間に入れてもらった。ブロッコリーのようなロマネスコを小さなクリスマスツリーに見立てたお手製の料理が可愛かった。復活祭のときはオルガさん夫妻が、フルトベングラー指揮ベルリン・フィルを聴いていかに素晴らしかったか、きちんと整理されている当時のプログラムも出して思い出を話してくれた。

 オルガさんはポーランド近くから逃れてきた白系ロシアの血をひく貴族で、復活祭の料理も、ピロシキや十字架が刻印されたケーキなど手作りのものはすべてロシア風。食事が終わるとロシアのギリシャ正教の復活祭を録音した古いレコードをかけてくれた。重厚な男声合唱が徐々に高揚し、復活の瞬間、教会の鐘が乱打される。「このとき、教会の内外で皆キスし合うのよ」とオルガさんはほほえみ、ご主人が何度もうなずいた。

 後にそのレコードを自分も欲しくなって探したがどこにもなかった。日本に帰国後、レコード会社の若い社員に話したら、彼が数カ月後、黙ってテープをくれた。廃盤になっていた復活祭のそのレコードの原盤をドイツの本社に頼んで録音してくれたものだった。昨年、奥さんから彼の訃報が届いた。まだ若いのに、と絶句した。オルガさんとは帰国後も電話をしていたが、途絶えてしまった。お元気でも90歳代だろう。

 ドイツ歌曲の背景や行事などドイツ人にしか分からない実感を教えてくれて、毎年、ハートマークを描き込んだクリスマスカードをくれたカーリンさんも、昨年1月に亡くなった。雪まじりの日、教会で葬儀が行われた。11日に一周忌ミサが行われる。

 私は無宗教だが、クリスマスや正月になると、亡くなった親しかった人たちがツリーの上や正月の青空の真上に集まっておしゃべりしているように思える。悲しくも、温かい。<梅津時比古(特別編集委員)>

毎日新聞2020年1月11日東京朝刊(4版)掲載 執筆記者:梅津時比古

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