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毎日新聞│配信日:2019年8月26日│配信テーマ:クラシック  

<新・コンサートを読む>バイロイトの《タンホイザー》 文化全般の対立を視野に=梅津時比古


 広い野や森を縫う一本道を、上空からドローンで見たような映像が追う。やがて映像は道を走る一台の灰色の古いバスに焦点が絞られ、道から大空を見上げる視点に切り替わる。管弦楽が静かに立ち上がって地の底から徐々にせり上がり、やがて天に達するように響く。ここは映画館ではなく、この夏のドイツ・バイロイト祝祭劇場。上演されているのは、指揮のゲルギエフ、演出のクラッツァー共にバイロイト・デビューとなったワーグナー《タンホイザー》である(7月28日所見)。

 まるで映画のように始まった長い序曲の間に、驚くべき場面が次々に起こる。ヴェーヌスを除けばワーグナーの台本とおよそ関係の無いバラエティーショーの一連がバスに乗っている。黒人の華やかなニューハーフ、太鼓を持った小人、タンホイザーという名のピエロ。彼らはワーグナーが若き無政府主義者だったころの言葉「欲望の自由、行動の自由、楽しみの自由」を旗に掲げている。ハンバーガーやガソリンを盗み、警官に見つかるとひき殺してしまう。

 全く別の物語が入り込む演出だが、原作の筋立てを思い返してみると、それが概念としては重なっていることに気づく。タンホイザーの主題は、人の生を動かす官能と精神、情欲と宗教の対立原理である。タンホイザーが官能のヴェーヌスの世界に浸ることで、聖なる精神のエリザベートがさらに輝いて見え、エリザベートの世界にいるとヴェーヌスにひかれる。この二項対立がここでは、映像やピエロ、小人、そしてお笑い的要素など、これまでワーグナーや上流文化からは差別され容(い)れられなかったサブカルチャー的世界と、タンホイザーの友人の品位高いヴォルフラムやエリザベートがいる正統的なワーグナー文化の対立に置き換えられている。事実、原作で巡礼の列が導く聖なるヴァルトブルク城は、ここではなんと、実際のバイロイトの祝祭劇場そのものに措定される。

 最後に強烈な印象を投げ掛ける場面が用意されていた。原作では聖なる世界へのタンホイザーの帰還だけを願って亡くなってしまうエリザベートが、ここでは文明の墓場のような廃車置き場で、やはりタンホイザーの帰還を願い、そして心密(ひそ)かにエリザベートを愛していたヴォルフラムにタンホイザーの衣装を着けさせた上で自ら誘って結ばれる。その後、エリザベートは手首を切って自死する。小人がバスの中からその光景を寂しそうに見つめている。この最後は何を意味するのか。文化の対立の解決の困難性と、見せかけの融和は死を招く、という警告だろうか。これは現代社会における文化全般の対立をも視野に収めるものだろう。破天荒な舞台は、深遠なテーマを提示していた。

 指揮のゲルギエフは祝祭劇場の特殊な音響をつかめていなかったが、歌手陣の好演が舞台に質の高い緊張感を張り巡らせた。とりわけ称賛を浴びたのは主役の二人。タンホイザー役のグールドが強靱(きょうじん)な声で音楽をリードし、対するエリザベート役のダヴィッドセンはやわらかな弱音をも用いて情感をくまなく表した。(特別編集委員)

毎日新聞2019年8月10日東京朝刊(2版)掲載 執筆記者:梅津時比古

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