[ 画像 ] 今週の音楽記事から 音楽ジャーナリストの眼 毎週月曜更新

新聞記事

毎日新聞│配信日:2019年6月10日│配信テーマ:クラシック  

<音のかなたへ>無いはずの桜


 いつも不意に桜はやってくる。季節が過ぎ去っていても不意にやってくる。

 とうに散り終わったのに、笙(しょう)の透徹した音の中に桜が見えた。響きから無数の桜の花びらがこぼれ落ちてきた。

 主に雅楽で使われる笙は細い管を縦に集めた不思議な楽器だ。顔の真ん中が隠れるように当てて吹き口に息を出し入れすることで鳴らす。初めに耳に入ってくるときには小さな音が寂しく響くのに、やがてふくよかに広がる。ヨーロッパの音に慣れた耳には不協和に響くが、その雑味がいつの間にか静けさに化している。楽器の特性もさることながら、このような感覚はその夜の笙の吹き手、宮田まゆみの醸し出すものなのかもしれない。あるいは、細川俊夫の笙のための曲がそう感じさせるのか。

 下野竜也指揮の広島交響楽団が新たに始めた「ディスカバリー・シリーズ」第1回で、ベートーベン《交響曲第1番》と共に細川の《「雲と光」笙とオーケストラのための》(2008年)が取り上げられた(5月17日、広島・アステールプラザ)。ベートーベンと細川の組み合わせを全8回続ける意図は、ベートーベンの作品におけるその時代の変遷の刻印と、細川におけるそれを重ねることで、作曲の社会的構造を見はるかすことにあるのだろう。

 《雲と光》では、かそけき響きの笙と、大音量の可能性を持つオーケストラのバランスがきめこまやかに求められる。細川自身が各部分に<空に漂う雲><影の予感><雲と光><暗雲と小さな嵐><光の予感><波と光><浄化>と題している。雲の切れ間に月の光が差してくるように笙が響く。

 何回かカーテンコールで舞台に呼び戻されたあと、宮田はアンコールとして細川編曲の《サクラ》を奏した。

 ゆっくりと息長く変化してゆく笙の和音の根幹の音に古謡の《サクラ》が流れるともなく流れる。笙以外は何も聞こえないことで、静けさが極まる。

 そこにかすかにたゆたう古謡の旋律は、夜に宙から薄い光をあびて花びらだけが舞い降りてくる音に思えた。その音以外に聞こえないこと、笙のわずかな音に限定し、ほかの音を遮断することで、宙まで響きが行き渡って感じられる。

 それは世界の見え方を示唆しているようであった。少し極端に考えると、雑多な情報を拒絶して、ひとつのものに集中してゆくほうが、ものごとが開けるのではないだろうか、と。無いはずの桜の花びらを見ながら、多くの情報を受け入れることの無意味について反芻(はんすう)していた。<梅津時比古(特別編集委員)>

毎日新聞2019年6月 3日東京夕刊(2版)掲載 執筆記者:梅津時比古

クラシック   のテーマを含む関連記事