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毎日新聞│配信日:2019年2月11日│配信テーマ:クラシック  

<Topics>三上かーりんさんを悼む 学び合い、相互理解伝え


 その日だけ、午前中、東京に雪が降ったのが悲しかった。前の日も次の日もからりと晴れていたのに。1月12日はどんよりとした灰色の雲が垂れ込め、冷気が足元に沈み込む。まるでドイツの冬のような天気であった。カトリック徳田教会(東京都練馬区)は、2棟が塔でつながっている古い石造りの建物である。昼にはもう雪はやんでいたが、寒風に立つ教会は、そこで葬儀のミサが行われるピアニスト、三上かーりんさんにふさわしい眺めに思えて、しばしたたずんだ。

 シューベルトの歌曲集《美しい水車小屋の娘》のレクチャーで、「私は水車小屋の娘でした」とドイツの思い出を語るかーりんさん。「美しい、は水車小屋にかかっていて、私にはかかっていません」と受講生をなごませた。

 ドイツはミュンヘンからかなり離れた製粉業の家庭に生まれたかーりんさんは、ミュンヘン音大ピアノ科に学び、そこで建築家の三上祐三さんと出会った。1968年に夫について来日し、4人の子どもを育ててから、徐々にドイツ歌曲のピアノパートを中心に演奏活動に復帰した。やわらかい音でつむぐ繊細な和声感に満ちた演奏は、シューベルト以降のドイツ歌曲において、いかにピアノパートがテキストの文学的表現を担っているかを伝えてくれた。

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 しかしそれ以上に彼女が重要な役割を果たしたのは、上智をはじめとする各大学、また一般の文化講座などで行ったドイツ歌曲に関するレクチャーである。それは、まさに彼女が開始した「日常における比較文化論」と名付けるべき領域であった。

 たとえば、有名な《魔王》。夜、森の中を馬に乗って走る父と子を描くゲーテの詩は、子どもが「魔王が誘っている」と怖がるのに対し、父は「魔王に見えるのは老木さ」と取り合わず、家に帰り着くと子どもは死んでいたという不気味な内容である。若いシューベルトが付けた曲はおどろおどろしさを極める。《魔王》の音楽や詩の分析は、多くの演奏家、学者が行っている。かーりんさんはそれらを踏まえた上で、「魔王(木)に向かって行くときと、木を通り過ぎ逃げて行くときと、どちらが怖いか?」という問いをたてる。すると驚いたことに、ドイツ人の99%は向かって行くときが怖いと答え、日本人の99%は逃げるときが怖いと答える。つまり、大上段の文化論においては浮上しにくいところ、日常的に当たり前だと思ってあえて問いをたてないところが、実は文化によって大きく異なっていることを明らかにしてみせたのである。

 ドイツ人と日本人、また各国の文化によって同じ曲を全く異なった感覚で聴き、演奏している。これは演奏法にも聴き方にも大きく影響する。かーりんさんは、音楽が世界共通語ではなく、お互いに理解するためには、学び合うことが必要であることを、きめこまかに、さりげなく、ねばり強く、示してくれた。【梅津時比古】

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 ピアニスト、三上かーりんさんは1月9日死去。84歳。

毎日新聞2019年2月 4日東京夕刊(2版)掲載 執筆記者:梅津時比古

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