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音楽ライター記事

ライター:富澤│配信日:2017年3月9日│配信テーマ:ジャズ  

チャーリー・パーカー編<3>|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?


前回、チャーリー・パーカーがデビュー前に「下手くそ」との烙印を押されたエピソードに関して、「“飛び入り”に寛容なアメリカのジャズ・シーンの慣習を無視して」や「若手がコード進行を見失うという初歩的なミスをしたぐらいで」という表現を用いて、彼の扱いに対する解釈に異論を唱えた。

この点で誤解を招きかねないこともあるので、本編に入る前に、少し訂正・補足しておきたい。

というのも、チャーリー・パーカーのエピソードを洗い直している途中で、『マイルス・デイビス自叙伝』(マイルス・デイビス/クインシー・トループ著、中山康樹訳、JICC出版局)に目を通していたら、こんな記述が出てきたからだ。

「並の演奏しかできない奴は、みんなに無視されたり、『ブーッ』なんて言われて恥をかくだけだった。それだけで済まないこともあった。ダメな奴は、本当に蹴っ飛ばされたりもした」

これは、意気揚々と生まれ育ったイリノイ州から出てきたマイルス少年が、ニューヨークというジャズの最先端が繰り広げられていた場所で最初に出逢った風景を思い出して語ったもの。1944年当時の風景ということになる。

チャーリー・パーカーのエピソードは1937年。場所はカンザスシティだ。

マイルス・デイヴィスが“蹴られた奴もいた”と言っていたのは、ミントンズ・プレイハウスでの出来事のようだ。そこはビバップ発祥の地とも言われている店で、ジャズ・ミュージシャンをめざす者にとって神聖視さえされていた場所だったことが想像できる。

マイルス・デイヴィスの記憶と印象によれば、ミントンズ・プレイハウスはエンタテインメントの中心地だったザ・ストリート(52丁目)に進出するための登竜門的な役割を果たしていたようで、腕試しにこの店を訪れ、大向こうに認められると仕事にありつける。しかし、それだけに要求も厳しく、排他的になっていたことも否めない。

ミントンズ・プレイハウスで嫌われたのは、「ろくに演奏もできない奴がステージに上がって吹きまくって、女の気をひこうと恰好を付けた」(前掲書)りするときだった。こういう奴は、ステージから引きずり下ろされ、裏路地に蹴り出されたらしい。

プロをめざす者たちがしのぎを削るシビアな世界なのだから、当然のようにこうした“仕打ち”は存在したに違いない。その点で、「“飛び入り”に寛容な」という表現は、誤解を招くおそれがあるので訂正すべきかもしれない。

とはいえ、ニューヨークを拠点に活動する(していた)ミュージシャンにボクが取材したかぎりでは、“来る者拒まず”という伝統はいまでも続いているという印象を受けた。

これはもちろん、ボクが取材したミュージシャンがジャズ・シーンで活躍するに足る実力をもっていることが前提にあって、恰好をつけただけではない演奏を披露できていたから、悲惨なエピソードにならなかったということもあるだろう。

それはチャーリー・パーカーもしかり。

彼が未熟なのに恰好ばかりの演奏をしようとしていたのであれば、シンバルを投げつけられるエピソードもむべなるかな。しかし、その時点でサックス漬けの生活を続けていたこと、わずか1年後にはビバップという新興勢力の筆頭に名を連ねるまでになったことを考えると、「恰好つけ」の「下手くそ」であるとは考えにくい――ということを伝えたかった。

と、言い訳が長くなってしまった。次回はしっかりチャーリー・パーカーの“ドン引きプレイ”を取り上げよう。

<続>

2017年3月 9日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:富澤えいち

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