音楽ライター記事
チャーリー・パーカー編<1>|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?
結論から言おう。チャーリー・パーカーが“ジャズの踏み絵”たりうるのは、彼がスウィングをはじめとしたそれまでのジャズを“踏んで”、自分の音楽を見つけようとしたからだ。
だから、チャーリー・パーカーを能動的に聴こうとすることは、彼と同様にそれまでのジャズを“踏む”ことを意味するととらえられたに違いない。
この点で、本来の“踏み絵”の意味とは違うのだけれど、象徴的であることの例えに転化したと考えたい。
では、そのチャーリー・パーカーの生み出した新しいジャズを考えるために、まず、彼のバックボーンを探ってみることにしよう。
だが、チャーリー・パーカーの“前史”には、レジェンドにふさわしいエピソードはない。いや、むしろ“突然変異”と冠するのがふさわしいほどの「なにもなさ」だと言っていいだろう。
カンザスシティに生まれ育った彼は、11歳で楽器を手にしたというから、決して早熟ではない。学校のバンドに所属していたものの、演奏していたのは学校の備品という、恵まれていたとも注目されていたとも言えない環境で育ったのだ。
しかし、彼に与えられた楽器という“道具”は、どれだけ時間を費やしても飽きることのない興味を彼に与え続けることになる。そして、高校の卒業を待たずに、演奏家としての道を選ぶことになった。
当時のアメリカでは、大衆音楽といえばスウィングであり、カンザスシティといえばカウント・ベイシーだった。チャーリー・パーカーもまた、プロのミュージシャンであるからにはカウント・ベイシー楽団で演奏することを目標に精進していた、とするのが一般的な見方だろう。
しかし、チャーリー・パーカーの“特異性”を考えると、はたして彼自身がそう思っていたのかどうかが怪しくなってくるのだ。
ここで、デビュー前夜の、有名なエピソードを紹介したい。
1937年のある夜、カンザスシティのクラブでジャムセッションに参加していたチャーリー・パーカーは、ソロの途中でコード進行を見失ってしまう。そのようすを見かねたドラマー(カウント・ベイシー楽団のジョー・ジョーンズだと言われている)が、とっさにパーカーの足下にシンバルを投げつけて、ステージから「降りろ!」と促した、というのだ。
このエピソードは、「チャーリー・パーカーが未熟だった(プロのスウィンガーに太刀打ちできなかった)」ことを示す象徴となり、猛練習を重ねた彼が数年後に誰もが驚くようなテクニックとアイデアを携えてシーンに復帰するための劇的な“前置き”として伝わっている。
チャーリー・パーカーをモデルにしたとされるクリント・イーストウッド監督の映画「バード」(1988年)にも、このエピソードを彷彿とさせるシーンが挿入されている。
しかし、本当にチャーリー・パーカーは“ダメな子”で、人前で大恥をかかされるような失態を犯し、それを悔やんで猛練習に励み、みんなを見返すほどの上達を遂げて、ジャズ史に遺る偉大な業績をあげることができた、ということなのだろうか……。
次回は、パーカーを“踏む”ための準備体操として、この彼のデビュー前夜のエピソードを検証してみたい。
<続>
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