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音楽ライター記事

ライター:山崎│配信日:2015年10月1日│配信テーマ:洋楽  

【インタビュー】トニー・マカパイン回復祈願<前編>


1986年に鮮烈なデビューを飾った超絶テクニカル・ギタリスト、トニー・マカパインの来日公演が2015年9月に行われることが発表された。

これまで幾度となく日本でプレイしてきたトニーだが、実はこれが初の単独来日公演。『エッジ・オブ・インサニティ』(1986)『マキシマム・セキュリティ』(1987)という初期のアルバム2作を完全演奏するというライヴは、日本の新旧ファンの胸を期待に高鳴らせた。

しかし公演の1ヶ月前、8月下旬にトニーが急遽入院。腸の腫瘍を摘出することになり、来日公演はいったん中止となった。

手術は無事に終了。今後の音楽活動についてまだ正式発表はないが、近い将来、きっと元気な姿を日本で見せてくれるに違いない。

このインタビューはトニーの病気が発見される1週間前の8月18日、Skype経由で行われたものだ。来日公演はひとまず中止となってしまったが、彼の談話は興味深いものであり、回復祈願記事として、前後編に分けて掲載したい。


●あなたがソロ名義で来日するのは今回が初めてというのは意外でした。

うん、もう10回ぐらい日本に来たことがあるんだ。ポートノイ/シーン/マカパイン/シェリニアンでも来たし、スティーヴ・ヴァイやプラネットX、リング・オブ・ファイアー…ソロでライヴをやったことがないのは不思議なほどだ。特に理由はないんだ。たまたま、なんだよ。今回はその埋め合わせに、『エッジ・オブ・インサニティ』『マキシマム・セキュリティ』という初期の2作を完全演奏するんだ。それに加えて最新アルバム『コンクリート・ガーデンズ』(2015)からの曲も2、3曲プレイするから、新旧のナンバーを楽しんでもらえるショーになるよ。

●初期2作を完全演奏するというアイディアは誰が提案したのですか?

元々は数年前、アメリカをツアーしたときにプロモーターから要請があったんだ。アルバム完全再現というのは“売り”になるから、ぜひやってくれってね。ちょうど『エッジ・オブ・インサニティ』の25周年記念だということで、全曲をプレイすることにした。最初はどうなるか不安だったけど、すごく盛り上がったし、俺自身とても楽しむことが出来た。それから世界中のファンから「アルバム完全再現をやってくれ!」ってメールが来るようになったし、それに応えたかったんだ。日本の後にやる大洋州ツアーでも初期2作をプレイすることになっている。これからもタイミングを見計らって『プレモニション』(1994)や『エヴォリューション』(1995)を日本でプレイしたいね。

●『ライヴ・インサニティ』(1997)でも初期2作からの曲をプレイしていましたが、今回のツアーは異なった雰囲気になるでしょうか?

うん、まったく異なったものになるよ。ビョルン・エングレン(ベース)とトーマス・ラング(ドラムス)は素晴らしいプレイヤー達だ。彼らは昔の曲に新しい命を吹き込んでいる。トーマスはさまざまなミュージシャン達と共演してきた実力派ドラマーだし、ビョルンはイングヴェイ・マルムスティーンなどと一緒にやってきて、俺とも付き合いが長い。

●『エッジ・オブ・インサニティ』からの曲はもう30年前に書かれたものですが、今プレイするとき異なったアレンジなどをしていますか?

俺にとって自作曲は“コンポジション”だから、一度完成した曲をアレンジし直すことはしていない。効果的に曲を変化させ続けるアーティストもいるけど、俺は子供の頃からクラシック・ピアノをやっていて、いったん書かれた曲をアレンジする習慣がないからね。ただ、インプロヴィゼーションのソロとかは毎晩異なるし、常に新鮮なアプローチをしている。スタジオ・ヴァージョンは誇りにしているけど、さらにエキサイティングな演奏になっているよ。さらに『エッジ・オブ・インサニティ』収録曲の多くはフェイドアウトしているけど、ライヴだとエンディングまでプレイする。どういう風に曲が終わるんだろう?という謎がすべて明かされるよ(笑)。

●ライヴではアルバムの曲順どおり演奏するのでしょうか?

うん、そのつもりだよ。少しずつインターバルを入れるかも知れないけど、曲順にプレイする。

●“アルバム完全演奏”ということは、両アルバムに収録されていたピアノ曲も演奏するのですか?

もちろん!会場にはピアノを用意するよう、依頼してあるよ。さすがにグランドピアノというわけには行かないけど、ステージでピアノを演奏する。

●『エッジ・オブ・インサニティ』が発表された1980年代中盤、数多くのテクニカル・ギター・インストゥルメンタル・アルバムが発表されましたが、あなたは当時その“シーン”の一部だという意識はありましたか?

全然なかった。あのアルバムの曲を書いたとき俺は東海岸に住んでいて、他のギタリスト達が何をしているかなんて知らなかったよ。俺は自分が学んだクラシックからの影響とハード・ロックを融合させて、リターン・トゥ・フォーエヴァーなどから得たインスピレーションを加えて、独自のスタイルを築き上げたんだ。とにかく自分らしく弾いて、その過程を楽しんだだけだよ。ただ、あの時代のLAは、ギタリストがデビューしやすい環境だったことは確かだ。イングヴェイが登場したことでテクニカル・ギタリストに注目が集まっていたし、マイク・ヴァーニーが『シュラプネル・レコーズ』で若手ギタリストのレコードを出していたからね。

●『エッジ・オブ・インサニティ』は『シュラプネル』からリリースされましたが、マイク・ヴァーニーはプロデューサーとしてどのような役割を果たしましたか?

マイクと作業する前にアルバムの曲はすべて書いてあったから、アレンジやミックスで幾つかアイディアを出してもらったのと、参加ミュージシャン達に口を利いてもらった。「ドラマーは誰がいい?」と訊かれて、真っ先にスティーヴ・スミスを挙げたんだ。彼はロックでもフュージョンでも世界のトップ・ドラマーだからね。スティーヴのスケジュールを押さえたとマイクに言われたとき、夢じゃないかと思ったよ。それにビリー・シーンが加わって、凄いラインアップになった。『マキシマム・セキュリティ』ではマイクの人脈でディーン・カストロノヴォとアトマ・アナーがドラムスを担当したのと、俺の友人だったジョージ・リンチとジェフ・ワトソンにプレイしてもらった。マイクはサウンド面でいろんなサジェスチョンをしてくれたよ。

●他の『シュラプネル』系ギタリストとの交流はありましたか?

みんなLAに住んでいて、同じ『プレイリー・サン』スタジオでレコードを作っていたから顔見知りだったし、お互いに敬意を持っていたよ。当時“『シュラプネル』系”と一緒くたにされたけど、それぞれのギタリストが異なったことをやっていた。ポール・ギルバートはその頃から「俺たちは一人一人全然違っている」と主張していた。俺もそう思っていたよ。俺がデビューした頃、よくイングヴェイと比較されたけど、クラシックからの影響を除けば共通点はほとんどなかったし、彼の方がヴォーカル入りロックにこだわっていた。俺はよりインストゥルメンタルな方向性を志向していたんだ。ヴィニー・ムーアはよりディープ・パープルなどのハード・ロックに根差したスタイルだったと思う。彼らとは今でも友達だし、交流があるよ。数年前にポール・ギルバートの『グレイト・ギター・エスケイプ』ギター・キャンプに参加したし、5年ぐらい前にはニュージーランドのギター・フェスティバルでヴィニー・ムーアとジャムをした。ヴィニーとは1980年代以来の付き合いなのに、それまでステージで共演したことがなかったんだ。

●ところで『エッジ・オブ・インサニティ』の米盤オリジナル・ジャケットは男の両足が鎖で繋がれているというものでしたが、日本盤では赤い靴を履いた女性の足になっていました。それは何故でしょうか?

昔のことだからあまり覚えてないけど、国によってジャケットの規制があったんだよ。足が鎖で繋がれているのが奴隷制度を思わせるとか、腕に識別番号が彫られているのが強制収容所を連想するとか…日本ではどうだったか忘れたけど、よりソフトなアプローチが欲しいというんで、女性にしたんだ。 女性の方がヴィジュアル的に魅力があるしね。俺自身、マイクに初めてあのアートワークを見せられたときは「…何これ?」と思ったんだ。拘束されてギリギリの精神状態をヴィジュアル化したと言われて、まあ、そういうものかな…と納得した。


インタビュー後編では、トニーの受けた影響、ミッシェル・ポルナレフとの共演、今後のプロジェクトなどについて語ってもらった。

2015年10月 1日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:山崎智之

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