[ 画像 ] 今週の音楽記事から 音楽ジャーナリストの眼 毎週月曜更新

音楽ライター記事

ライター:伊熊│配信日:2011年11月24日│配信テーマ:クラシック  

『第9』は、ベートーヴェンがすべての人類に呼びかけた愛のメッセージ ベートーヴェン:交響曲第9番考察 ②


 ベートーヴェンが「第9」を完成させたのは、1824年の春まだ浅いころのことだった。当時すでに53歳になっていたベートーヴェンは、聴覚をまったく失っていた。しかし、その偉大なる精神力と、長年心のなかに暖めていたシラーの詩への熱い思いが、この大曲を完成に導いた。

 ベートーヴェンがシラーの頌歌「歓喜に寄す」に出合ったのは、まだ20代のはじめのころ。この詩の底に流れる民主的思想にいたく感激したベートーヴェンは、そのときからいつかこの詩に曲をつけたいと願っていた。その積年の思いがようやく実行に移されることになったのは47歳のとき。実に30年という歳月を経て初心を貫いたことになる。そしてこのベートーヴェン最後の交響曲となった「第9」は、完成までにその後約6年という月日を費やして書かれた。

 ベートーヴェンが「第9」を作曲したのは、ウィーン郊外にある温泉保養地バーデン。現在では、ウィーンのオペラ座前から路面電車で60分ほどの距離にあるこの風光明媚な小さな町は、緑が豊かで、いつの季節にも風がそよぎ、のんびりとしたたたずまいは訪れるものにやすらぎと心の休息を与えてくれる。

 そんな町の中心に位置するラートハウスガッセの2階建ての家でベートーヴェンは構想を練った。訪れてみると意外に小さな感じのするその家は、しかしながら明るく、町のどこにでも行きやすく、居心地のよさそうな感じを受ける。

 ここから毎日決まった時間に散歩に出かけるといわれたベートーヴェンは、この「第9」を作曲中にもよく散歩に出た。ときには奥のヘレナ渓谷まで足を延ばし、曲想で頭がいっぱいになり、われを忘れてさまよい歩いているうちに夜になってしまい、家に帰らない日もあった。そして1823年秋までかかって全部の構想を練り終わったベートーヴェンは、ウィーンのウンガールガッセの家に戻り、冬中かけて最後の仕上げにかかった。

 初演は完成の3カ月後、ウィーンのケルントナートーア劇場で行われ、熱狂的な拍手をもって迎えられた。

 ベートーヴェンはこの偉大なる交響曲でいったい何をいいたかったのだろうか。苦悩を経て喜びへということだけでは決してないはずだ。彼は生涯独身だった。でも、女性に憧れ、友人を求め、弟や甥などの家族を大切にした。彼は人間をこよなく愛した人だった。

 この冒頭の「友よ」という呼びかけは、すべての友に対するもの。自分のまわりの友、世界の友、そして18、19世紀だけではなく、のちの世代の友にも彼は呼びかけている。21世紀に生きる私たちにも「友よ」と語りかけているのだと思う。

 「みんなで苦しかったことを忘れ、明日に希望をつなごうじゃないか」とベートーヴェンはいいたかったのだ。その温かな人間好きのベートーヴェンの心情が音楽から見えるからこそ、世界の人々にこんなにこの曲が愛されているのではないだろうか。

 ベートーヴェンの愛は広く深く普遍的だ。それは第4楽章だけではなく、最初から感じられる。すべて呼びかけの音楽だから。彼はモーツァルトのように天才とは呼ばれない。バッハのように家庭に恵まれたわけでもない。シューマンのように繊細とは評されないし、ショパンのように容姿に恵まれたわけでもない。

 そんなベートーヴェンは努力の人といわれ、私たちふつうの人間の代表格のような親近感を備えている。ベートーヴェンの悩みや喜びは、私たちにも理解できるものである。そんなふつうの感情を持ったベートーヴェンが、すべてのものに対する愛がいかに大切かと、その音楽で訴えている。

2011年11月24日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:伊熊よし子

クラシック   のテーマを含む関連記事