コミュニケーションデザイン
グループ マネージャー
佐藤 大造

情報だけでなく魅力を伝える
コミュニケーション。

佐藤 大造

プロフィール

1988年入社。楽器やスポーツ用品、デザイン広報を経て、現在はWEBやプロモーション、VIや展示のマニュアル、デザインイベントなどのコミュニケーションデザイングループ マネジャー。 ゴルフクラブの「inpres」も第一世代から担当。2008年より渡英し、RCA(英国王立美術大学院)の学生たちと産学協同プロジェクトを手掛け、現在も継続的に発信している。

メカ好きな工作少年だった

小さい頃、家が店をやっていたので、私はいつも一人で遊んでいました。積み木やレゴが好きで、テレビも好きで、宇宙も大好きだったので、創作でサンダーバードの基地を作ったりしていました。もちろんプラモデルもよく作っていましたし、段ボール工作を経て、電池・モーター・ギアを使う工作などもよくやっていました。工作少年だったんです。小学校の頃から「NASAに入りたい」と思っていましたので、工学博士になるつもりで高校は理数系の学校に進学しました。でも高校三年の秋、ある工学系大学の推薦入試に落ちたことから初めて真剣に自分の将来と適性を冷静に考え、自分が「数学ではなく工作や図工が大好きだった」という原点を思い返し、急遽デザイン系の学校を目指すことにしました。高校は芸術系の授業がない学科でしたので、他学科へ美術を習いに行くなどして、遅いスタートでしたが何とかデザイン系大学へ進むことができました。大学ではデザイン全般を勉強した後、専門講座を選ぶ際は自分がアンチメジャー志向だったせいもあり、当時華やかだったプロダクトデザインを避けてスペースデザインを専攻しました。とはいえ大学時代はモラトリアム期間で、バイクにハマって何週間も日本中をツーリングしたり、建築模型を作るアルバイトに精を出したりと、わりと気ままに過ごしていました。

刺激的だったヤマハでの実習経験

スペースデザインを専攻したのに、働く場所を選ぶ時はまたアンチメジャー志向でプロダクトデザインを目指しました。ヤマハを志望したのは単純に「いろいろできて面白そうだ。」と思ったので。当時ヤマハは楽器・AVだけでなくスポーツ用品や家具も作っていました。また私が通った小学校はヤマハの創業者である山葉寅楠が創業のきっかけとなったオルガンを修理した学校だったりと、幼い頃からヤマハに親しみを持っていたこともあります。ヤマハのデザイン実習は、学生が一週間泊まり込みで課題を完成させてプレゼンするというものでしたが、それまで気ままな学生時代を過ごしていた私にとって、この実習の一週間は強烈でした。鋭いセンスを持った他の美術系学生たちがすごい勢いで絵を描いているのを目のあたりにし、その進め方に影響を受けたり、絵を描くコツを教えてもらったり。様々な刺激を受け、大きく成長した実りのある一週間でした。